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うちの場合は。 ⑩町家

先日、「妙齢の独身女はマンションを買いたがる」というコラムを見つけて、言い当てられていると思った。仕事は安定した、この先何かにチャレンジする予定も特にない、親は年老いてきた。となると、若い頃には興味がなかった高貴な趣味(陶器やインテリア)にめんどくさいほどのこだわりを持ち始め、その先に高貴な趣味(というか人生最大の出費)の究極案件である自分だけの城を探し始めるのだ。

私は京都に住まいを構えているので、選択肢に自然と町家が入ってくる。リノベや管理や環境が大変なのはわかった上でなので人によると思うが、なかなかに魅力的だ。コロナ禍においては民泊に使用されていたと思われる家具付き京町家が割とお買い得なお値段で売りに出されており、内装写真の撮り方も素敵なので見入ってしまう。ネットで見ながら、「住んだらやっぱり寒いのかな」「ご近所付き合いが面倒なのかな」とか勝手な想像をして、いろいろ予算と照らし合わせてワクワクしている時にふと思い出したのは、広島の祖母宅は立派な町家だったんだなということだ。

私が高校生だった頃に叔父の事業の廃業と同時に、祖父が早くに亡くなって長いこと1人暮らしをしていた祖母の家は取り壊されたが、あの頃はなんとも思っていなかったお風呂は、まるでトトロのサツキとメイちゃんの家のもののようだったし、おくどさんがあり、トイレは和式で男と女に分かれていた。扉は全て引き戸だったし、部屋は全て木造で畳だった。長いL字の縁側もあったし、何より松の手入れが大変そうな純和風の庭があって、使われていなかったが鹿威しや池もあった。

取り壊されると決まってから最後に訪れた時に母が、「庭を背景に写真を撮っておこう」と言ったのを覚えている。母のいろんな思い出が詰まっているし、うちには田舎が広島以外にはないから、なかなかこの先、一般家庭のおうちで出会える純和風レベルではなかったからなのだと思う。その時はあまりその意味をわかっていなかった私が薄い笑みを浮かべ、庭をバックにした写真は今でも残ってはいるが、画角が悪すぎて庭の広さや純和風感は全く伝わらず、顔に影が落ちた女のただのプロマイドになっている。あの純和風スタイルは自分の記憶を紡いでいく他にもう手はない。

物件探しは楽しいが、管理費とか維持費とか修繕補修費とか町内会費とかなんとかかんとかで、その後のランニングコストのことまで考え始めてしまい、まだまだ一歩を踏み出せずにいる。自分だけの城を築くのはとても難しくて知識のいることだ。でも本当に将来町家に住んでるかも?と考えると、自分の人生まだまだ奥行きがあると思ってワクワクするのだ。

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