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うちの場合は。 ④お守り

先日、久しぶりに石清水八幡宮に行ってきた。そこは男山というかっこいい名前のお山のすぐそばにあり、男山レクリエーションセンターで昔よく大学の仲間たちとBBQをやった帰りにみんなで寄ってお参りして帰った青春の地である。

そんな石清水八幡宮になぜ久しぶりに行ったかと言うと、溜まったお守りやら厄除け札をお世話になったものだからちゃんと返納しようとふと思い立ち、2月3日以降の吉日の吉方を狙ったら石清水八幡宮がちょうど良かった、という理由。

せっかく足を伸ばして八幡さん(親しみをこめてこう呼ばれているらしい)に行くならと思い、さらに家中を捜索してせっせとかき集めたら10個以上も見つかった。女30代のほぼ毎年が厄年であるため自分で買った厄除けのいろいろや、父親が毎正月に調達してくる家内安全系のお守り、両親それぞれからの縁結びのお守りなどが一切更新されず溜まりに溜まり、特に可も不可もない人生を今まで送れてきたのはどのお守りのおかげだったのかよくわからないまま、八幡さんに一手に背負って頂こうと一気に持ち込んだ。返納金としてものすごく微々たるお賽銭を入れてきた。

返納して何かが変わったとかはなく、ただ断捨離した時のようなすっきりとした気分になった。お守りの持ち過ぎはそれぞれの神様にも失礼だったからこれからはちゃんとしようと反省。自分自身の気の持ちようで「お守り」の存在価値は変わるということ。

手元にひとつだけ残したのは父親が今年のお正月に買ってきたお守り。これを頑張って毎年更新できるように、実家に顔を出すことにしようと思う。

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