見出し画像

聞くことを共有する

 講義を勝手に開放して2年目になります。
 
 学びなおしの機会をつくるとか、開放的な大学をめざすとかも大事なことですが、なにより和光の学生にとって学びが充実するからやっています。講義アンケートをみる限り、和光の学生も学外からの参加者によって学びやすい雰囲気となり、有益だったと評価してくれているようなんで今後もやってくつもりです。
 今年も、講義内でおもろいことがありました。

 和光大学には障害のある学生も通っています。担当した講義には聴覚障害のある学生がいました。講義中は話者が専用の小型マイクを装着することで、音声が文字化され、その学生は文字が表示される画面を見ながら講義を受講することができています。最近は文字化の精度も高く、その技術には驚きます。

 発言のほとんどが講師である講義の場合は、特に大きな問題なく受講できるようです。ただ、学生たちの発表や議論が多い授業だと、時どき小型マイクを次の話者に渡すことを忘れてしまうことがあります。本講義でも当初は忘れてしまうことが時どきありました。その数分間、その学生は置いてけぼりとなってしまい、マイクの存在を思い出したところから再び講義が再開することになりました。意見が活発にやりとりされる展開の時、つい忘れてしまうことがあります。その学生も、忘れられたその瞬間に、指摘するのはやりとりを止めてしまうのでやりづらいのかもしれません。

 講義中の数分でも聞こえない時間があるということは、集中して聞く際にとてもストレスを感じることです。マイクが話者に装着されている時でも、画面に表示された文字には誤変換や表示されないことが時どきあり、それらは前後の文脈や講義内容を加味して、補いながら授業を受けています。それがその学生が普段やっていることです。それに加えて、無音の時間が数分でも生じれば、集中力がきれてしまってもおかしくないと思います。

 ある週、受講生全員で意見交換する場を設けました。その時は、小型マイクを各自が手にもって発言する展開となりました。そしてその時のことを学外からの受講生のAさんが、以下のように振り返ってくれました。

対話系のワークショップでは、「トーキングオブジェクト」というアイテムを使うことがあります。オブジェクトはぬいぐるみとか石とかどんな物でもいいのですが、発言するひとはそれを持ったり、手元に置いたりして話します。マイクというよりは「よく聴くためのシンボル」で、誰かがもっている間は沈黙があってもその人の時間として話を聴きます。先日の夜は、〇〇さんのスティックマイクがトーキングオブジェクト的な役割を発揮していたなぁと思いました。(〇〇さんありがとう)

 学外から毎週参加されているAさんはワークショップへの参加、企画経験のある方でした。その経験をもとに、先週の講義について振り返ってくれました。講義内で話し、聞くために、間髪入れずに話者が移りゆく展開は、そんなに重要なものではないのかもしれません。瞬間的な反論や、リアクションは、往々にして相互に聞くことを疎かにすることがあります(もし差別的な発言が講義中になされた際、瞬間的に反応するのは大切なことではありますが、、)。小型マイクを持って話すこと、マイクを渡す少しの間で聞いた話を受け止め、次に話すことを考える時間を確保する。Aさんがいうように、小型マイクはすべての受講生にとって、きくこと、話すことを尊重するツールとなりました。

 和光の学生も私も、とっても大事なことを改めて教わる機会となりました。「共生」はスローガンとしても大事ですが、専門的な知識や技法に裏付けられて実現しうることだと教わりました。

**
 学外からの受講生は、和光の学生のために献身的に控えめに学ぶことを求めていません。そうではなくて、いい意味で自分本位でアクティブに受講していますし、それを求めています。自身の学びを充実させるために、あの空間でともに学ぶことにたどり着くのだと思います。そのことを、目の当たりにした貴重な機会でした。

                           撮影:横井貴子


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?