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日本と西洋においける「計画」に対する考え方の差

象徴的に言えば、
東京の街並みと西洋の街並みを比較すれば、計画や設計に対する考え方の差が分かる。
銀閣寺とサグラダ・ファミリアやルーブル美術館(←数百年で今の形)を比較すれば、拡張性に対する考え方の差が分かる。

日本は、1つ1つの完成度は高いが、そのあと手を入れられない。
西洋は、すこしずつ手を入れて、途中段階でも使えるものでありながら、完成を目指す。

こういった差は、今のITサービスのあり方にも色濃く影を落としていると思う。

プラットフォーム的なサービスなどもまさにこういった考え方がベースでありましょう。そして「途中段階でも使える」というのが肝だと思っています。

日本人にもその考え方がなかったわけではない

もっとも、話を「街並み」に戻せば、江戸Japanの街々を設計した戦国時代末期の先達たちはそうではなかった。その都市構造をはじめに作ったのは織田信長と言えそうですが。。。

要は、現代日本のこの思想的な状況は、「江戸期の安定」「明治維新後の模倣優先」によって、脳みその ある部分(→構想とか計画とか設計とか)の筋トレ機会が乏しかったので、

それまでずっとやってきたオリジナルのヒト達(←西洋)とは、今はまだ差がありますよね、と。

という地点から、自分たちを相対化してみて、本気出して取り組むこと。これが大事なのだと思っています。

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