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命について。メキシコ片田舎の、とある牛の最期。

このノートでは命について書いていきたいと思います。
命は平等だとか、相手を傷つけてはいけないとか、そんなことを言われる。
一方で、夕方のテレビ番組では業務用スーパーの格安の豚肉やら卵やらが興奮気味に紹介される。

やっぱり僕は命は大事だと思っていて、その優劣も種によって大きく差ないんじゃないかなと思っている。

新卒から3年間働いた会社は、動物用の商材は扱う会社だった。
僕は畜産農家が安全な食品を提供する仕組みを整える国際規格であるISO 22,000のようなものを一緒に作り上げる仕事をしていた。つまり、動物を健康的に育て、安全なお肉や卵を目指しましょう、というもの。

命について。
その仕事の中で、実際に見た日本の畜産の姿の一側面と、世界を旅した中で偶然出会った、とある牛の最期について紹介してみたい。

*ショッキングな描写もあるかもしれません。

このnoteの内容を元に、動画、音声でも撮ってみました。
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鶏の体温調整方法

ご存知でしょうか?
鶏は汗による体温調整ができないそうです。ではどうやって暑い夏などに体温調整をしているかと言うと、それは呼吸でしているそうです。
一生懸命はーはー呼吸をして体の中の熱を外に出す。

採卵鶏が入れられているケージは狭く、小型犬の家庭用のケージほどのサイズの中に5、6羽の鶏が入れられている。

小学校の体育館くらいの大きな建物の中に6段も8段もそのケージが重ねられてそれが奥までびっしりと敷き詰められている。
陽の光を浴びることすらできない薄暗い建物の中で、鶏たちは自由に動くこともできず、顔をケージの外に出して、必死の形相でただただ激しく呼吸をしている。蒸し暑さでYシャツの中で汗が滴る。
何千何万という鶏が、薄暗く蒸し暑い建物の中で声にならない声を発しながら、顔をケージの外に出して激しく呼吸をしている。その光景は、富士急ハイランドの超戦慄迷宮よりも、はるかに恐ろしかった。

採卵鶏の雄はすぐにさよなら

これはご存知の方も多いと思うけれど、採卵鶏の雄雛は生まれた直後に殺処分される。当然卵も産めないし、肉用の鶏ではないのでわざわざ育てても美味しくないからだ。
生まれた直後にミキサーにでもかけられて、畑の肥料なのか、その卵を産んだ母親の餌なのかわからないけれど、そういったただの養分になる。

消毒液の使い方

母豚は強制的に人工的な受精をさせられ、何度も子豚を産む。
ある時、病気でこれ以上子供を産ませるのが難しい、またわざわざ健康にさせて、お肉として出荷するほどのコスパも良くないような母豚がいた。
その母豚の首にロープを縛り付けて、興奮した大型犬を散歩しているかのような形で僕がそれを握り締めるよう指示があった。
獣医師の先生が長い針のついた注射器で消毒液の原液を心臓に直接流し込み、殺した。
母豚が暴れないよう僕も抵抗するが、彼女の苦しみがロープを通して僕の手に伝わってきて、1分か2分か時間が経ってから横たえた。もう終わったかと思ったその時、母豚は顔を持ち上げてぎょろっとした目で僕を見た。
それがその豚の最期だった。

弱い子豚は頭を潰された

生まれて間もない子豚の中には体の弱い子もいる。
そのまま育ててもきちんと育たない可能性が高いと判断されたある子豚は、養豚農家の男性に後ろ足を持たれ、まるで大きな和太鼓にバチを打ち付けるかのように、地面に頭を叩きつけられた。
誕生からものの数時間の命。

メキシコの牛。尊厳のある死。

2014年11月。僕はメキシコの中くらいの規模の街サンクリストバル・デ・ラスカサスにいた。
田舎の方にも行ってみたいと思って、そこから長距離バスに乗って、ほとんど情報もわからないような、観光地でも何でもない小さなテネハバいう村に行った。

スペイン語はメキシコの次に行く国であるグアテマラで学んだので、この時はほとんど話すこともできず、彼らにも伝わる簡単な英語と身振り手振りでコミュニケーションを取っていた。
村の中を歩いていると、子供たちが遠巻きに僕を見て、目が合うと照れなのか恐怖なのか、林の奥へと駆けていく。
そんな、観光客や外国人も来たことがないような村だ。

家々の庭にあるなんでもないものを興味深く見たり、道端の植物を観察したりしていると、僕が横を通ったすぐ近くの小さな家から両手にナイフを持った男性が出てきた。やばいかもしれない。
僕は悟られないように、恐怖心をできるだけ出さないように、何でもないといった感じで振り返り、来た道をのらりとの戻り始めた。こういう人は少しでも刺激を与えてしてしまうと何をしてくるかわからない。まずいと思いながらも、歩く速度を早めてしまっては、それすらも刺激になるかもしれない。
ナイフを持った男性は、僕の5メートルほど後をついて歩いてくる。縦に並ぶような格好で歩くか僕とテネハバのナイフの男性。

50メートルほど歩くと、道端に牛が横たわっていた。
4本の足を1つのロープでくくられて、例えるならパラシュートを横から見たようなそんな姿になっている。
その牛の周りには既に3名の男性がいた。
様子を伺ってみると、どうやらこれからその牛の屠殺を始めるところだった。
ナイフを持った男性は、この牛のところで立ち止まった。どうやら屠殺のためのナイフだったようだ。(良かった、、。ちなみに、その後訪れるコロンビアで、通りすがりの男性に馬乗りになられてナイフで切りつけられるという、九死に一生の経験をすることは当時知る由もない。)

周りにはその他にも、7歳位の女の子と5歳位の男の子、そしてバケツを持ったおばあさんがいた。

屠殺を始めようとする男性に、声をかけて許可をもらい、少しのお金を払ってその撮影をさせてもらうことにした。
おもむろにナイフで首の動脈を切断し、溢れる血をおばあさんがバケツの中に入れた。
血はゆっくりと、だけどたくさん流れ続け、牛は声なのか深い呼吸なのかわからない、そんな空気を口から出していた。
牛は暴れるでも喚くでもなく、ただただ血が流れるままに任せていた。

5分10分すると、牛の動きはほとんどなくなった。命が消えたのだろう。
顎の下あたりからお臍のあたりまで、皮にナイフで縦に切り込みを入れた。
ワイシャツでも脱がすかのように、皮を少しずつ剥いでいく。

膝の関節をきれいに切り取り、さっきまで牛だったそれは、肉と皮になっていった。

子供たちと僕は、ただただそれを見ていた。



日本では、豚の屠殺場を見学したことがある。
何頭もの豚が、手際良くあっという間に豚から肉塊へと変わっていった。



メキシコでのその牛の最期を見た時、血の一滴も無駄にせず、何人もの男性に丁寧に捌かれるその牛の死を、尊厳のあるものだと思った。


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