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島原藩と昭和福櫨

みなさんこんにちは!シリーズ化してきました全国のハゼノキシリーズですが、本日の主役は島原。昭和のハゼノキ生産や木蝋産業を支えた一大生産地です。そして今では最も育てられている品種でもある「昭和福櫨」を生み出した地域でもあります。さて、先週は現在の一大生産地である熊本のお話でした。そんな先週の記事はこちらこら!

さて、冒頭でもお話したとおり島原は平成以前は全国でも屈指のハゼノキの生産地でした。しかし、平成2年の雲仙普賢岳の噴火による火砕流が櫨畑を直撃してしまい、大きな傷跡を残してしまうことになります。この災害は木蝋業界そして、それらを加工する和ろうそく職人ににも大きな影響を与えることになります。現在の状況も含めて島原のハゼノキの歴史を見ていきたきと思います。

■ハゼノキ栽培と昭和福櫨

島原藩のハゼノキ栽培開始に関しては2つの説があります。ハゼノキ栽培の開始時期については他藩でも複数見受けられるちょっと変わった特徴でもありますが、一説目は元和年間(1615〜24年)、二説目は慶安四年(1651年)です。年代がはっきりと特定されている点と伝来の有力地である薩摩と唐津へ伝わった年と比較して、恐らく栽培が始まったのは1651年頃と推察できます。もっとも前者は奈良から松倉重政が入部した事に伴う説であるため、案外漆を持ってきて植えたことが木蝋の材料になったためハゼノキの栽培と言う形に変化して伝わったのかもしれません。(写真はフェリーから見える普賢岳)

かくしてハゼノキの栽培が始まった島原藩ですが、始まった年数以降の記録はほとんど残っていません。特に17世紀ハゼノキの栽培を開始したとされている他の藩でも同様ですが、増えていくまでの記録がかなり曖昧です。共通しているのは享保の大飢饉以降の藩政改革や殖産産業の奨励によって大きく増やしていく経緯があります。実際、島原藩に櫨方役所が設けられたのは1774年と言われています。

そして1790年、島原藩千本木町で通常より大きな実なのなる品種が発見されます。その品種は蝋分が多く、良質な木蝋を作ることができました。今でも和蝋燭職人に重宝され、後に「昭和福櫨」と名付けられる品種の発見でした。そして昭和福櫨は発見から数年たたず発生する未曾有の大災害にも大きな力を発揮します。

■島原大変肥後迷惑と松平忠馮

1792年5月21日。前年からの火山活動の影響か普賢岳の東にある眉山が突然山体崩壊を起こします(島原大変)。その間わずか数分であった言います。この影響で発生した火山性津波は海を隔てた肥後藩にも大きな傷跡を起こすこととなります(肥後迷惑)。前年から続く一連の火山災害は日本火山災害史上最大の被害をもたらす事になります。

この災害復興にあたったのが、災害対応の心労のため倒れた松平忠恕(ただひろ)の家督を継いだ松平忠馮(ただより)でした。忠馮は災害復興のため江戸から1万2千両を借り入れを行ったほか、衣類取締令や奢侈の禁止など藩政再建に尽力しました。余談ですが忠馮の時代に藩校である「稽古館」ができています。(写真は昭和福櫨の実)

そんな復興と藩政再興の大きな助けとなったのがハゼノキでした。忠馮は既に重要な藩の産業となっていた木蝋産業のさらなる推進と強化を行いました。実際には文化年代に入ると櫨の実の値段が下落していた影響もあり順風満帆にとはいかなかったようですが、当時から島原藩の木蝋は管理が良く行き届いており高く取引されたと言われています。 

管理と併せて木蝋の材料となった「昭和福櫨」の品種としての良さが活きていたと考えられます。その結果、天保年間には3000両もの利益を島原藩にもたらすようになっていました。実は木蝋生産が盛んだった熊本藩や紀州藩では大量生産による品質の低下が顕在化していたともいわており、島原藩が品質を落とさずに管理出来ていたことが結果的にその後の利益につながったと考えられます。

■平成大噴火と昭和福櫨の復興

雲仙普賢岳の火砕流。筆者がまだ小学校に入ったばかりの頃でしたが、テレビに映し出された映像を今でもはっきりと覚えています。一連の火山活動の中で当時は知る由もなかったのですが、この火砕流は当時日本でも最大の生産地となっていたハゼノキ畑を直撃する事になります。

当時を知る方にお話では木蝋生産者はもちろん、和ろうそく職人など影響は計り知れないほどの損失ももたらし、このまま木蝋や和ろうそく作りを続けていくのは難しいのではないか?と思われるほどの衝撃だったようです。ハゼノキは育てるの5~10年ほどの年月がかかります。この時点で多くの櫨農家が生産を終えられたとお聞きしています。(写真は本多さんが管理するハゼノキの里山)

しかし、現在。全国でも数か所しか載っていない製蝋所の一つである島原の本多木蝋工業所さんや、近隣の有志の方を中心に島原で「昭和福櫨」の復興が始まっています。本多さんの敷地内の櫨農園化やご自身が管理されている土地でも「ハゼノキの里山」づくりや地域の方の憩いの場として整備を始めるなど将来的に私が創っていきたいと思っている景色を、既に創り始めています。素晴らしい活動です。

またワークショップやコンサートと合わせたハゼノキや木蝋の体験を行うなど、ハゼノキの魅力や有用性を後世に伝え、文化や産業としてこの魅力ある植物を引き継いでいく活動も積極的になされています。私も来月おこなわれる櫨の実ちぎり体験に行ってこようと思っています。

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