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ぬいぐるみを抱きしめるように4月9日

待つのはいいけど待たせるのは嫌だーー、焦った土曜日。あんなに時間あったのに!!って何度目だろうか人生。時間があるほど遅刻しやすい現象は何なのだろうか。
足を懸命に動かして、何とか1分前についた。友だちもほぼ同時刻。久しぶりに踊る、久しぶりに振りを考える。使っていなかった部分を動かすのはとても気持ちがいい。大袈裟でなく、帰り道はスキップでもしているかのような身体の軽さだった。足が喜んでいる、駆け出したいくらい。
友達とわかれ、1人新宿。お茶でもして行くかと思ったのだ。後から思えばさっさと帰ればよかった。人混みにあてられ、座ろうと思った席に座られ、ふらふらと彷徨うほどに乾く喉。でも1人でケーキは重すぎるし、ホットかアイスかもまず迷うし……よくわからない気分のまま歩きついに決められず帰宅。若干しょんぼりしている私を見かねて母がドライブに連れ出してくれた。コーヒーをテイクアウトして、桜並木をドライブ。でも、悲しいことに桜が切られていた。毎年桜のトンネルになるのに!と悲しい気持ちで見つめる。コーヒー苦い、美味しい。

桜は他のところでも見た。わたしが友だちと名残惜しみすぎたせいで暗くなってしまった公園。彼氏さんとみる夜桜は、満開の雰囲気だけが充満している。あと静か。人がいない。
一方、上野公園は人がいっぱい。桜も満開、空は花曇り。彼を好きになったときのことをちょっぴり思い出してにやにやする。一年と半年。

何となく、悲しい。ここ数日のその気持ちを探り当てようとして、そわそわする。んー、何だか色んなものを後回しにしているからなのかなぁ。
仕事を一生懸命やってみたいこと、企画を考えたい。振り付けも考えたい、生もののように思いついた時は美味しそうなのにすぐダメに思える。彼氏さんのプレゼントも探したい。こんなに大好きなのにぴったりのものが見つけられないなんて……本が読みたい、映画がみたい、お腹がすいた、ぐーたらしたい。でも、サボりたいのと同じくらい一生懸命にもなりたい。
高校生の頃、わたしは妙に達観していた。眠くても疲れてても、絶対もっとやればよかったって思うんだろうなと、思っていた。実際そうだった。

やりたいがないのも辛いけど、やりたいをそのままにしてるのも辛い。いや、やればいいんだけど。目の前の緩やかな坂を転がるたびに、わたしの身体は緩んでいく。ゆるゆると、ゆらゆらと。
その惹き込まれるのが嫌で、怖くて、最近眠る寸前に抗いたくなる。眠いのに、意識の手放し方が下手くそになった。

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