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「間違ってはいけない」という呪いから「間違っていい」という祝いへ(強いリーダーから学べるリーダーシップへ)

「学習する組織」とかに多分書かれてる話だけれど・・・

「間違ってはいけない」という呪い

今の政府とか、強く賢いリーダーが愚民を引っ張る、導いてやる みたいなマインドでできてる組織は、「無謬性」を手放せない。
(と、元官僚さんがおっしゃってましたし、日経にもある。)

「無謬性(むびゅうせい)の原則」
「ある政策を成功させる責任をを負った当事者の組織は、その政策が失敗した時のことを考えたり議論してはいけない。」という信念のことで、日本の政府や大企業の官僚組織ではほとんど無意識のうちに前提とされている(2018年5月22日 日経新聞 大機小機)

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誤りが含まれていないということ。誤りのなさ。誤りようがない、すなわち、絶対に正しいという意味でも用いられる。

無謬性:間違いなんてありえない!
「間違いを認めることができない」
だから、間違ってはいけない。

でもこれって無理な話で、正解がある世界、時代(アメリカを追いかければよかった時代)なら適応してるけれど、今みたいにVUCAワールドで、正解なんてなくて、さまざまなその時々の特殊解しかない時代には全くそぐわない。
どころか、マイナスである。

というのは「間違わない」ために、
・情報を集めるけれど古びていく
・決断は過去の成功に基づいてなされるので結局間違う
・責任を取れないので、決断できず、ずるずる流れて、さらに悪化する
・責任を取る!(取れないことをわかってないのに)とただ声が大きい者が権力を握りやすい

もはや「呪い」だ。
(実際、間違った時のことを考えたりシミュレートすることが、不運や不吉を招くとされる。言霊になるとも言われる。そうやってタブー化される。予祝の逆。)

・・・結果として、その組織は自滅するしかない。
(企業ならやめればいいが、国だと移民するか、国を変えるか、その中でできる限りダメージ少なくがんばるか。)
(しかし、正しさ や 間違わない は 羨望であり、憧れでもあるだろう。しかし結局は幻想であり、そうなると、ペテン師がやってくる。)

どうすればいいか?

どうすればいいか?
「間違わない」という信念を手放すしかない。
「間違っていい」ただし「そこから学んで改善・進化していく」ことに意志を持つ。
そんな変容をすればよい。

どうなるか?

そうなるとどうなるか?
ピラミッドは崩壊する。誰も優越者はいない。
誰も正解はもっていないから、みなで学ぶのだからみなフラットだ。
助けあうしかない。
みながお互いに迷惑をかけざるをえないので、助け合いがモードになる。
当事者感覚
1人ひとりは多様な唯一の現実の当事者でその総体が全体。なので、全員が当事者。
こうなってくると情報が膨大にもなってくるので、コンピュータやネットワークのパワーも活用すべきだろう。

学ぶものが勝つ というか生き残る

競争原理でいうと、学ぶ組織が勝つ ことになる。しかしそれは敵を倒す というよりは そういう企業が顧客や市場から選ばれる ということなので、競争というよりは、共生の一部だろう。

企業であれば PDCAを回してきているだろうけれど、そのサイクルは小さく、速く、死ぬことも織り込み済みでなくてはならない。
政府は PDCAしづらい組織だったろう。

であれば、試行をゆるす市民がいるか、世界中の自治体や政府がお互いに学びあう形をたくさん取り入れるか、だろう。
生命はそもそもそんな風にできている。

スーパーパワー

もう一つは、上記のような、学ぶ民による民主化 でない道を、ゾンビのような強いリーダーが金にものを言わせて、民をコントロールするために学びを悪用するケース。または幻想の強いリーダーになりすますペテン。
これがグローバルなガバナンスが空席になっている今、起こっていることだろう。現代のそれはテクノファシズム。

たぶん、民の力は相当アップしていて、地下茎のようにお互いにつながり、お互いにそのパワーを認め合うなら、地上の大木に勝ることができるだろう。大事なのは、地上より地下なのだ。

1人ひとりが、大きなものに依存する(強いリーダーに決めてもらう)のではなく、それぞれが独立して自分で決める。
それには、独立して暮らせることも必要だ。自給自足・友給友足・人とのご縁~シェア・精神的な大地や宇宙との繋がり(そういうつながった暮らし)。

「間違ってはいけない」という呪い、から「間違っていい」という祝い、へ
(強いリーダーから学べるリーダーシップへ)

ワールドゲームのような感じでみなが参加して、この星の上でいかに人類が生かされるかを学びあいながら生きていけるといいね💖

ある意味、この世は、人生もまたゲーム。参加するすべての命は存在そのもので尊重され、自由に学び、自由に死んでいく。開かれた世界へ。

間違えない正しい独裁者より、間違えて学ぶ開かれた社会へ それが、生命世界。

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