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精神疾患とはなんだろう

少し前から、精神疾患を抱えた方々と地域でどう共生していくのかを学ぶ短期セミナーに参加しています。

特に資格取得などを目的にしたものではなく、たった2ヶ月のセミナーなのですが、私の暮らす地域で精神疾患を抱えた方がどのように暮らしているのか、どのような支援を受けているのか、そしてどのような課題に直面しているのかなどについてざっと学べるということで、参加してみることにしました。

セミナーはまだ途中なのですが、そんな関心が高まっている中で知人のお勧めで読んでみたのがこの本です。

『治したくない-ひがし町診療所の日々』斎藤道雄著
北海道の浦河町というところで、大病院の精神科が経営不振によって閉鎖せざるを得なくなり、入院患者を全員退院させて町で生活させるという一大プロジェクトをドキュメンタリータッチで書いた本です。

そもそもここの精神科では病棟を患者の「収容施設」にしたくないという想いから、どんどん入院患者に退院を促していました。
また、地域からも強力に要請があった認知症高齢者の収容も断り続け、ベッドは空きだらけに。
病棟の経営が成り立たなくなって、結果病院から“追い出された”ということです。

そんな流れの中、その精神科の責任者だった川村敏明先生は自ら診療所を立ち上げます。
同じ職場で働いていた他のスタッフも加わり、町の中で、地域の中で、精神疾患を持つ人々とそうではない人々がどう折り合いをつけて暮らしていくのか、模索を繰り返していきます。

精神病棟の入院患者の中には長ければ40年にも渡り入院し続けている方もいたとか。
「決して退院できない患者」というレッテルを貼られ続けた方々が、こんな事態が起きたせいで、普通の場所であたりまえの生活をしていく。
そうなって初めて、支援者側が勝手に低い評価を下していただけだったと気づく。
そんな顛末がいくつものエピソードで語られています。

ただし、支援者が「普通の」感覚で「こうあるべき」と思うレールにすんなり乗ってくれているわけでは決してありません。
読んでいるだけで、困惑や苦労、トラブルとまわり道の数々に頭が下がる思いでいっぱいになります。
諦めずに、なにがあればこの人たちは退院できるのか…目の前の状況にどっぷりと関わり、試行錯誤し、たくさんの失敗を経験しながら、徹底的に相手に寄り添う。
相手を変えるのではなく、自分たちのあり方を柔軟に変えていく。
そこにあるのは、もう後には引けない覚悟だったとのことですが、考えて考えて、鍛えられていく支援者たち。

しかしながら、彼らの実像にはあまり悲壮感のようなものは感じられないのです。
そこにはもちろん著者による“お化粧”があるのかもしれません。
でも、”超”長期入院している”超”難関患者も全員退院させ、町での暮らしを成立させてやるぞという、そんな野望を持った皆さん。
これまで病院で赤字を出し続け、低い評価に甘んじていた皆さんが、日本の精神保健医療を根底から覆してやるぞという野望を秘めたその目を、この本の中では『ずるい目』と表現されているのですが、まるで子供の悪だくみのような雰囲気を漂わせている。
そして、そこにはたくさんの“笑い”がある。

精神科の分野では、病気が悪化するから本人を入院させるしかない、というのがこれまでの常識でした。
それを、ここの関係者は否定します。
家で、町で、生活が成り立たなくなるから、入院させようとするのだ、と。
つまり整えるべきは生活、暮らし。
幻覚や幻聴があろうが、元気に生活が出来れば、暮らしが成り立てば、入院は不要-つまり病気を治療することが最優先な訳ではないということ。

そしてこれには、地域の側が開かれることも必要で、そちらへの取り組みも肝になります。
それらを、突拍子もないと評されるようなアイディアをバンバン投入し、悩みながら語りながら少しずつ形にしていく。
「自由に」「楽しく」「わがままに」。

東大の研究会から「コペルニクス的転回」と評されたこの全貌、どんな傑出した人々が成しえたのかと思ってしまうのですが、実はそこもちょっと違うようで。
本の中で、ストレートに書いてあります。
実は…たいした人はいないんです、と。
このような支援は、しっかりした人が一人二人いてもダメ、むしろしっかりしていない人達がいっぱいいるところに、ちょっとしっかりしたのがポツン、ポツンと入っているくらいが、温かみが出て丁度良い…。

これは支援、援助というより応援と言った方が近いもの。
必ずしも問題を解決しようとはせず、みんなで語って悩み、そこで出来得ることをやっていく。
そこで働くのは、長年の経験から培われたセンス。
いわば原初的な、縄文的な、アートの世界。
そんな態勢が、相手の心の深いところに届き、変化を促すことに繋がる。

それでも、当事者が支援者をコテンパンにし、これでもかとトレーニングを積ませるがごとく振る舞う構図は変わらないのですけれど!

さて、それにしても、どうしてこのような精神疾患を抱えた方々が存在するのでしょう?
精神疾患にもいろいろな症状があり、ほんとうはどこからどこまでが病気とされるのか、とても曖昧なものです。

意味の無いものがこの世に存在することが無いとすれば…おそらくはそうなのですが…この方々は今の世界で「普通であること」を追求してしまう人間への強烈なアンチテーゼなのではないかと感じています。
精神疾患を治すという目標を立てても、どこへ向かえばいいのか?
完全無欠の健常者など、空想の世界にある曖昧なイメージに過ぎませんよね。
そんなゴールを目指すなど、無意味。

みんな違う。
「普通」など本当は存在しない。
彼らはそれを私たちに示すために存在してくれている…私にはどうにもそう思えて仕方ありません。

であるならば、精神疾患にまつわる問題の解決を専門家的な人々に任せて見ないままでいるのではなく、眼を開いて関わりを模索することも大切なのでしょう。
自分の身の回りにも意外なくらい関わりの端緒が見え隠れしていることを、冒頭に挙げたセミナーで学ばせてもらっています。

さらに踏み込んで知っていくため、このセミナーをとことん活用させてもらおうと思っているところです。

長年の公私に渡る不調和を正面から受け入れ、それを越える決意をし、様々な探究を実践。縁を得て、不調和の原因となる人間のマインドを紐解き解放していく内観法を会得。人がどこで躓くのか、何を勘違いしてしまうのかを共に見出すとともに、叡智に満ちた重要なメッセージを共有する活動をしています。