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『ニュー・アース』省察⑥ ‐ 他者のエゴが自身のエゴを強化する

第三章 エゴを乗り越えるために理解すべきこと(其の1)

第三章の始まりです。
この章も、まずはエゴの構造についての簡単なおさらいから始まります。

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たいていの人は無意識のうちに、頭の中で聞こえている絶え間ない声をそのまま『私』だと思い込んでいます。(上図左側)
しかしながら、それらはその人が置かれてきた様々な条件下で発生したエゴイスティックな心による『思考』の声で、『私』とは別のものす。(上図右側)

『思考』や、それに付随する感情はとても移ろいやすく、とても脆く儚いものです。
だからこそ、そこを基盤にするエゴたちは生き延びようと無意識の中で働きかけ、あの手この手でエネルギーを獲得しようとします。

その中で重大な働きをするのが、「他者」です。
『私』という『思考』を支えるには、その対極にある「他者」という概念が必要です。
なぜなら、「他者」を批判したり非難したりすると、自分が大きくて優れた存在だと感じられるからですね。

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「他者」や「状況」への不満は、エゴが自分自身を強化するための得意戦略の一つです。
この不満は、心の中で思うだけでも、口に出して言う場合や暴力に訴える場合と本質的には変わりません。

また、『私』が不満や恨みを抱く元になった「他者」の行動も、この「他者」のエゴから発せられている可能性が高のです。
『私』は無意識のうちに、この「他者」のエゴに反応し、自身の中にあるエゴを強化させていってしまいます。
しかも、この「他者」のエゴはほとんどの場合、実は『私』の中にもそっくりなものが存在し、だからこそ無意識のうちに反応してしまうのです。

この構造、とても皮肉なものですね。

したがって、自分のエゴを乗り越えるには、この「他者」のエゴに気づき、反応しないことが有効な手段になります。

何かに不満を持った時 ‐対「他者」でも「状況」でも‐ それが頭の中の声だと見破れるかどうか。
見破ったとしたら、その見破った意識が本当の『私』の意識です。
そうなれば、『私』に宿っていたそのエゴは過去の心のパターン、つまり「あんな風に思っていたこともあったな…」としか認識されない過去のものとなり、どんどん衰えていくでしょう。
そして、そんな「他者」や「状況」を赦し、受け入れることができるでしょう。

しかし逆に、不満がさらに強化され、根の深い恨み=怨恨にまで発展してしまうケースもあるでしょう。
いつまでも過去の出来事に対し激しい否定的感情を抱いていると、その出来事はずっと生々しいままで存在し続けます。
エゴの思うつぼですね。
エゴは、ここから半永久的にエネルギーの供給を受けられると踏めば、怨恨が解消されることも問題が解決することも望まないでしょう。
そのために、その人の世界に対する見方は歪み続け、またマイナスのエネルギーが自身の態度を歪ませ続け、人生を大いに翳らせる結果にもなってしまいます。

どうしたらよいか?

決してその怨恨を捨てようなどと思ってはいけないと、著者は言います。
うまくいかないから、と。

正直に、自身には怨恨があり、自身の『思考』が、エゴが、それを生かし続けていることに気づき、その感情をしっかり感じることです。
この怨恨はエゴが自身を生き延びさせるための罠であり、エゴのため以外になんの使い道もないと気づけば、自然と赦すことができます。

だって、あまりにもバカバカしいじゃないですか…そんなものに縛られて、今を生きることを遠ざけてしまうのは。

この方法は、Momoyoさんによって説かれているSpiritual Anatomy®の方法論とも完全に通じるところです。
嫌いな自分、否定している自分を完全に見据え、その感情を感じ取り、なんならその否定している自分そのものを自覚的に実践してみる。

そうすることによって、その否定が実態を持たない虚構であるとようやく自覚することができるのですね。

『思考』によって作り出された罠は、そうして自然と解消されていきます。

≪巻頭写真:Photo by Scott Osborn on Unsplash≫

長年の公私に渡る不調和を正面から受け入れ、それを越える決意をし、様々な探究を実践。縁を得て、不調和の原因となる人間のマインドを紐解き解放していく内観法を会得。人がどこで躓くのか、何を勘違いしてしまうのかを共に見出すとともに、叡智に満ちた重要なメッセージを共有する活動をしています。