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わたしはうまれてからずっと夢の中で息をしている

自分の呟きに対して口出しをしてくるうるさい人がいるから
それをみたくないのでここに病歴を遺します

10歳の時に初めて外科の手術をしました、部位は頭部、機械が入りました

ここから現在、そしてこの先息が途絶えるまで
真綿で首を絞められるように苦しく、生きた心地がしない不安の海に静かに浸かっているような
薄暗い人生が始まります

13歳〜15歳
入退院を幾度も繰り返し、その間の手術は多過ぎて数えることができません

16歳
引き続き入退院を繰り返しました
開閉したのは、おなか、首、あたま
検査で刺したのは、足の付け根と腰
腕と手の甲と足の甲に無数の針の跡
やはり手術回数は多過ぎて数えることができません
その時初めて機械を取り除きました
そして16歳の半年間、意識はありませんでした

17歳〜18歳
引き続き入院生活、リハビリの為転院
半年寝っぱなしだった身体は自分の意思で動かすこともできず
歩けないので車椅子、何をするにも介助が必要で
これを読んでくださってる方々の想像を絶する生活でした
食べれもしませんよ、歩けもしませんし起きることもできません、トイレにだって行けないし、着替えることもお風呂に入ることだってできませんでした
好きな音楽を聴くことも、字や絵を描くことだって、
いまあなたたちの好きでやれていること、なにひとつ出来ませんでした

19歳〜20歳
再入院、頭の手術、取り除いた機械のあとの癒着だとかなんだとか
最後はそこまで重い手術はしていません



うまれてからここまで、たぶんあなたたちはこんな経験なんてしていない
大変な思いをした人間に向けるような言葉ではない発言を繰り返すのだから

少しでも辛い思いをした人は、寄り添ってくれる言葉を持っているし
その言葉を優しさに変えてかけてくれます、見守ってくれています


手術のことだけを書きましたが
10歳から20歳の頃なんて、普通に考えたら学生なんですよ
わたしには健常者が普通に送れる学生生活なんて全くありませんでした
幸い、なんとかして小学校と中学校の先生方は進級させてくださいました
高校は16歳の時に行けなかった時点で単位が取れるはずもなく進級できなかったので別の定時制に転校しました
専門学校や大学という選択肢なんてありませんでした


わたしは現在も闘病中です
身体的にも精神的にも完治しない病気を患った為です、25歳で発症しました
ここまで書いたらきっとなんでそんな病気にかかったのかなんて考えなくてもわかりますよね

健康なわたしのままでいてくれたのなら、まだ15さいなんだよ

お願いだからこちらにわざわざストレスを与えないでください

そのなかでもとても嬉しいことに
20歳で今の夫と出会い、25歳で結婚
夫はとても優しくてとてもかっこよくて大好きが止まらなくて本当にありがとうがいっぱいで
この先も生きづらいまま生活を送っていくしかないなかで
この夫という存在はわたしにとって消してはいけない大きな光なんです


おねがいだからこちらにわざわざストレスを与えないでください、嫌悪感を抱くなら静かに離れて行ってください、おねがいします、以上です。


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