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「Queer Eye」と多様性

ここ最近日本でも多様性という言葉を耳にするようになってきました。障害、LGBT、外国人労働者など挙げだしたらきりがない。

でも、それを必死に声を挙げる人と、形式だけ形を作ろうとする政府や会社と、全く気にしてない人が混在する社会。
例えばそういう議論をテレビやTwitter などで見ると、繊細な部分がある私には溢れ過ぎて疲れてしまうのです。

かといって私も当事者でないとしても、少なからず「生きずらさ」を感じる人間であります。
「こうあるべき」「こうあったほうがいい」がまだまだ浸透しており、私は気にしないと思いつつその思考にがんじがらめになっています。

※Queer Eye(クィアアイ)とは、Netflixで放送されている、LGBTQの5人組が応募者(推薦者に指名された人)の外見と内面を変えていく番組です。

クィアアイには様々な人が出てきます  
・LGBTQ
・障害者
・シングルマザー、ファザー
・ルーツを別の国にもつ移民、または2世、3世など

日本も近年、外国人労働者が増えたり、観光客が増えたりしています。それは白人、黒人、アジア人、日本人とひとくくりにできるものではないのです。
発達障害やLGBTといった見た目に分からない部分は、カミングアウトできる人もいれば、抱え込んでしまうことも多くあります。その反面、ハーフや海外から来た人は、外見という見た目で判断されてしまい辛い経験をされることもあるでしょう。

日本はこういう議論が遅れていると言われます。
そして、いわゆるマイノリティといわれる人を特別視する傾向がとてもあります。

いろいろ原因はあるでしょうが、私は日本では今までそういう人が少なかった(または言える状況じゃなかった)から、対応に慣れていない人が多いのも一因だと考えています。じゃあこの多様性を知ることから始めよう。

多様性のある社会とは「いろんな人がいていい社会」だと思います。

世間では美しいほうがいいとか、勉強ができるほうがいいとか、表面上のことばかりが取り上げられやすいですよね。
雑誌でもテレビでも「これはいい・だめ」という伝え方は分かりやすいので用いられがちですが、創造力や考えることを省かれているような気がします。

ひとつひとつの回に、それぞれの人の歩んできた人生があります。

だから断片的なイメージや外見だけで判断できるものでない。

また、日本でも差別があるように差別はアメリカでもあります。
Fab5は全員がLGBTQであり、またルーツを別の国にもつ人もいます。
彼らもいわゆる”マイノリティ”として生きてきたから、依頼人に共感できることがたくさんあるのだと思います。

誰もが悩んでいるのに

悩みがない人は少ないのではないでしょうか。しかし日本は”他人に迷惑をかけない”教育のせいか、他人に弱みをみせたり頼ることが苦手な人が多いです。
また、失敗にも寛容とは言えません。
メディアでは綺麗、完璧なものが取り上げられがちです。または、おバカタレント、おブスといった言葉でおもしろおかしく笑うのです。

また、どうしても見た目やイメージ、自分の印象で「あの人はうらやましい、あの人は優れている、劣っている」ととらえてしまいがちです。

完璧な人なんていません。

クィアアイでは、外見だけでなく心も変えていきます。そのため内面の部分への対話も行われています。 
例えば、髪型や服装に全く気を使わない人に対して、そうなってしまった背景は何なのかを分析していきます。
仕事柄のイメージなのか、忙しいから時間がないのか、家族背景や生い立ちがそうさせたのか。引きこもってしまった人に対して、原因やきっかけはどこにあるのかなど。


毎回、FAB5の5人の心に響く言葉、自分を受け入れて変わろうとする人たちの行動や笑顔から励まされることがたくさんあります。そして、依頼人は自分の弱さや悩みの根本の部分に対して向き合うことになります。
しかしFab5は彼らを否定するようなことはしません。「あなたは今のままではダメだ」と全否定するのではなく、その人の背景にあるものを理解し尊重したうえで、「こう改善したほうがいい」と助言してくれるのです。

「クィア・アイ」を見たあとに心が穏やかになれるのは、そのままの自分を認めて良い。それを変えたかったら変えることもできる、と教えてくれているような気がするからです

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旅を通じた人との出会いや、旅でしか分からない気づきを大切にしています。 リモートワークしながら旅ができる生活を模索中。 ニュージーランドでワーキングホリデー済、一人旅・ヨガ・家庭菜園好き