退職、コロナ禍のはじまり、そして今もなお声が戻っていない私の話。

2020年3月末、勤めていた会社を辞めた。

体が限界だったのが1番の理由と同時に、同じくらいの熱量で、日々の業務へ殺意に近いものしか抱けなくなっていた。
業務のなかには接客も含まれていた。


私は、接客が好きだ。

人生で初めてのアルバイトは高校二年生のとき。
「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」という何気ない一言をはじめ、対面してお客様と話すことがとても楽しかった。その後も飲食や小売を中心に働き、私は接客・販売が得意だと自負していた。
常連のお客様もいらっしゃったし、お褒めの言葉をいただいたときもあった。

もちろん、そうではないときだってあった。

「言葉遣いがなってない」「前の人のほうがよかった」と言われたときもあったし、「今あのレジにいるスタッフの態度が悪い」と仲間が糾弾されるときもあった。
それに対して私自身が反省するときもあれば、どうしたって納得のいかないときもあった。
「おまえはお客様じゃない。ただの通行人が偉そうに喚くな」くらいに思うときもあった。
悔しくて悔しくて悔しくて、ときには泣いて。
スタッフルームで上司に慰めてもらうことはどこの職場でもあった。


それでも接客業が好きだと胸を張って言えていたのは、私自身が楽しかったからだ。
目の前にいるお客様が喜んでくれる姿を見て、また明日も頑張ろうと何度も思えた。
「また来るね」と言ってくださるお客様に、最大限のおもてなしをしたいと心の底から思っていた。
自分の声で、自分の言葉で、お客様と向き合うことが自分の使命だと思っていた。


2019年9月末から都内の病院にて治療とリハビリを開始後、ときどき、喉に腫れがないのに声が出ない症状が出るようになった。
その傾向から理由として、精神的なものではないかという仮説がたった。

先生から「心療内科でカウンセリングか、
認知行動療法を一度受けてみるのはどうか」と言われたとき、
聴き慣れない後者の言葉に戸惑いを受けたのが正直である。

認知行動療法とは、いったいどんなものなのだろうか。




時間をだいぶ遡り、私は学校を卒業してから入社した会社(A社)で、給与未払い、上司からパワハラ・セクハラ、同氏の横領事件発覚という、20代前半でとても体験したくなかったことにぶち当たってしまった。

パワハラとセクハラの具体的な一例としては、
「君は体が弱そうでかわいそうだから、来月から13時出勤でいいよ」
「13時からのこの契約書にサインしないと、今席を立つのは社会人として良くないよ」
「○○さんに聞いたんだけど、君、今日生理なんだって?早く帰っていいよ」などの言葉の数々。
密室空間で6時間以上、同氏から人生を語られたときもあった。

連勤3週間を超えたころ倒れて救急車で運ばれたり、朝から終電まで働いても夜は眠れず、やがては会社行きの電車に乗れなくなった。
救急車で運ばれたときにとある先生から、「一度、心療内科を受診するのはどうですか」と言われた。

A社を辞めて1ヶ月後、入るはずの給与がなく、給与未払いを体験した。
さらに2ヶ月か3ヶ月過ぎたあたりにA社の先輩から連絡があり、例の上司が会社のお金を1000万円以上横領していたことが発覚したと聞いた。
社長と共に訴える準備をしたく証言が欲しいという。
同氏はどうやら存在そのものが嘘だったらしく、私たちに語った人生も全て嘘で、「俺の奢りだ」とドヤ顔していた全ても会社のお金だったという。
聞いた話では、自身の生活費や交際費、風俗に通っていた証拠もあったという。
先輩とは一度会ったっきり、その後は連絡を取るのをやめた。
A社は当然の如く、存在がなくなった。
詐欺師に騙されたのは、人生で初めてだった。

渦中にいたときはほぼ忘れていた「心療内科を受診する」という選択肢を思い出し、私はとある心療内科と出会った。
鬱、適応障害、睡眠障害など、それまで縁がないと思っていた言葉たちが自分に降り注ぎ、まるで他人事のようだったのを今でも覚えている。




喉の先生から「カウンセリングか、認知行動療法を受けてみるのはどう?」という提案で、そんな簡単に受診できるものなのか?とよぎるものだが、私は前述の経験以降おなじ心療内科へ通院していることもあり流れるように先生へそのまま相談をした。

かくして私は認知行動療法の先生から一度話を聞いてみるという選択をし、結果的に2019年12月中旬より受診を始めた。

心療内科によって手順や体制は違うだろうが、
私が通っている病院では認知行動療法を受けたい旨を診察の先生に相談したあと、何曜日の何時頃がいいという希望を伝える。
スケジュールの空きが限りなく不透明なので「たとえば、来週すぐというは難しい」、「日にちの目処がたったら連絡します」という流れだった。
話をしたいという仮予約から最初の予約が取れたのに、1か月はあいていた。

もし心療内科を日常的に通院していないなかで
カウンセリングや認知行動療法という提案が仮にあったとしたら、もう少し時間はかかったかもしれない。


喉の病院(X病院)と心療内科(Y病院)の双方への通院ペースは先生の予約状況にもよるのと、治療のペースによって変化する。
X病院へ2週間に1度のときもあれば、次は1か月後というときもある。
Y病院は1週間に1度、もしくは2〜3週間に1度が目安として多いかもしれない。

私がカウンセリングではなく認知行動療法を選んだのは、後者が、「ものごとの捉え方や考え方に焦点をあてる」「話し合いをして問題解決を図る」という説明に興味を持ったからだった。

初回を受けてから数回の認知行動療法を経て先生と話してゆくなかで、「これは今きっと、試されているなぁ」と思う瞬間がある。

というのも、「ここまでの話を聞いてどう思いましたか?」「その瞬間、一番はじめに何を思いましたか?」など、イエスかノーかで答えられない質問が多いのだ。


そうなると日常的にも「この瞬間、いま、自分がどう思ったか」ということにとても敏感になる。

嬉しい。悲しい。楽しい。悔しい。
笑った。泣いた。イラッとした。つらい。しんどい。消えたくなる。
何故、自分はそう思ったのか。
何故、自分はそんな行動を取ったのか。

「次に先生と話すためにも自分の感情を言語化しなければ!」という、ある種の強迫観念に追われているのも弱冠あるかもしれない。

また、認知行動療法という限られた時間のなか、且つ低価ではない治療法に対して「なんとかモトを取ってやる!」という気持ちがあることに否定は出来ない。


カウンセリングや認知行動療法に効果はあるのかとなると、受診している身として、こればかりは本当に個人差としか言えないように思う。

ただ現状の私にとっては「物事を言語化する意味の長所」を体感し、これは認知行動療法のおかげなのではないだろうか、とも考えている。

自分の血肉や脳でアウトプットをするようになったことは今後の人生でも生かせるだろうと、今はまだ思い巡らせている途中だ。




3月に退職して以降、世間が新型コロナウイルス蔓延ということもあり、家にいることがほとんどだった。

情報を手に入れるのはインターネットが中心で、その最中、ツイッターでは医療従事者やエッセンシャルワーカーの方々の声を多く見かけた。
私は医療従事者ではない。どちらかといえば、後者に近い職業だった。
「接客が好き」な私があのまま仕事を続けていたら、あの無数のかなしい呟きと同じ立場で世界が見えていたかもしれないと6月になった今でも思う。


数少ない外出時に訪れたスーパーやコンビニで、私は「お客様」になれていただろうか。
「お客様」という仮面を被った通行人になってしまっているのではないか、と、自分がこれまでレジ側に立っていたときのことを何度も思い返した。


4月中旬、ときには前の人が「お客様」の仮面を被った乱暴者になっており、惨めなことに、私は止める勇気も声量も持ち合わせていなかった。


静寂が常に漂う日々のなか、考える時間が多くなった。
自分にとって得意だと認識していた「販売業に勤められない」無力さ。
「声が思うように出ない」惨めさ。
「これからの人生、どう歩めば満たされるのだろうか」という、不安。

期間中、友人とオンライン飲み会なるものをしてみたが、正直その日の喉の調子により声の質が違うと自分でもわかっていたし、変に力が加わったのか翌日全身がぐったりしているときもあった。

無力さは加速していったが、その一方で、少しだけ心に余裕が生まれたのも実感している。

これは、職場から解放され無職になった影響なのか、コロナ禍により自分自身を多方面で見つめる機会が増えたからなのかは、まだ明確ではない。

ちなみに、私が退職してからの変化としては、
・筋肉痛が減った
・白髪が減った
・体重が減った
・頭痛薬の使用回数が減った
・胃薬の使用回数が減った
…というのが目に見えてわかる症状である。

(余談だが、「仕事を辞めてから白髪が減りました」と伝えると、X病院とY病院の担当の先生皆様から「それはとてもいいことですよ!」と言われたが、あまりの食いつき具合に医学的根拠までは聞けずじまいである)




2020年6月現在、X病院Y病院と双方通っている私は、今もまだそれらの卒業時期が見えない状態にいる。


6月に入ってから、X病院で声の検査を久しぶりにした。

カメラで喉を診てもらうことは毎回あるが、声の検査は毎回するものではなく期間をあける。
指示される文章を読み上げたり、音を声に出したり。
声量や息の強弱、かすれやざらつき等が数値化グラフ化されるものだ。
リハビリの成果があってか、初診から飛躍的に標準の声の値に近づいている。
喉に多大な負担をかけなければ仕事も出来る状態になったとお墨付きももらった。



この2ヶ月強、コロナ禍と共に実に不思議な時間を過ごしている。
それは世界中の人々が少なからず思っていることだろう。


私にとってのこの期間は、人生の休息期間、空白、歩みを止めた日々、生産性のない時間、…果たしてどれだろうか。
定義づけられる可能性の言葉は数あれど、今の私にはまだ見つからない。


どんなモノにも「考えている途中」とだけが、はっきりとわかる毎日だ。


そして今日も私は、家で出来る範囲のリハビリをする。





※喉の病院での診察リハビリ内容、心療内科及び認知行動療法については私が体験したなかで書いているため、それぞれの機関によって違いがあると思います。
必ずしもそれらを推奨しているものではありません。
ですがもし、自分自身もしくは家族友人で私に似た境遇の方がいらっしゃったら、選択肢として考えてみるのもいいかもしれません。

同じ気持ちの方に出会えると幸いです。