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「裏技なんてない」と知るところからすべては始まる……んだけど、そもそもどう始めたらいいんだっけ?

実は私、「人を羨む」という感情があんまり無かったりします。

羨む暇があったら自分や周囲に対して働きかける方が建設的だし。

まぁ、深層心理的なところで「あんまり努力しなくても周囲がお膳立てしてくれる人」のことがマイナスの意味で気になっちゃうというのは確かにあったものの、自分が自分の望むものを引き寄せる活動を続ける過程で、「本人が全然努力してない」人というのが視界からどんどん減っていったんですよ。

頑張りのベクトルは様々あれど、なんだかんだ頑張っている人が周囲に残るようになっていったというか。

そうすると、自分自身もなんだかんだこつこつと積み上げて暮らしてきたせいか、他人の成功談やインタビュー記事を見聞きしても

この人、このタイミングで尋常じゃなく頑張ってるやん……

とか

こんだけの実績あったら普通に昔取った杵柄でいけるよな。全然不思議でも何でもない

とか普通に思っちゃったりして、「奇跡」とか全く思えなくなってきているんですよ。

つうかまぁ、私自身もなんだかんだ泥臭い努力を積み重ねて30歳を通り過ぎたので、今の立ち位置には大変納得していますし、私自身「よくやったなーえらいぞえらいぞ」とかと懐述したくなる程度のことはやってきたので、見ず知らずの人の実績の裏のアレコレに、実感を持って思いを馳せやすいんだと思います。

そうすると、ディテールのないサクセスストーリーやシンデレラストーリーの類を冷めた目でみるようになる、スクール商売や情報商材と一番食い合わせが悪い人類が生まれてしまうわけなのですが、意外と「やるしかない」の境地に至るのって難しいのかな……?どうやったらその境地に至れるんだろう?というのが最近の悩みだったりするわけです。

自動思考が「やるしかない」の人の実態

ぶっちゃけ自分自身、小学校高学年くらいの時からもう「やるしかない」マインドができてしまっていて(当時、ハードコアすぎるリコーダーオーケストラに参加していて、母親が朝練のために朝起きるのを放棄しても一人で早起きして朝ごはんを適当に食べつつ、朝練しに学校に行っていたのです……)、高校受験や大学受験もそのノリで押し通してしまったし、社会人になってもそんなノリだったし、今もちょうど「やるしかない」案件だらけで「因果やなwwwwwwww」と独り言ちながら仕事してたりするんです。

うっかりすると歯磨きとか、ご飯食べるのと同じレベルで「やるしかない」とか言って活動している気がしており、「どうなったら『やるしかない』と思って行動できるのか」という過程が私の中にそもそも言葉として存在していないことに、最近気づいたんです。

だって、私自身、昔からもともとそういう人間だったわけで、コミュニケーションとか、自転車の乗り方みたいに「できないところ」から「できるようになった」わけではないので、「できない」状態のことがさっぱり想像できないのです。ちなみに、同じ理由により、パソコンの使い方も全く教えられません。小学生の時、気づいたらパソコン使えてたん……冗談抜きで……。

どうしたらいいんだろう、こういう時

ぶっちゃけ今まで、「似たような人の集まり」をすごい志向していたところはあって、大学の同級生も原則的に「やるしかない」人類ばっかりだったし、友達もそういう奴としか仲良くなれなかったりして、そもそもこの点が問題になることが無かったんですよ。

でも、守られた快適なところを飛び出して、一人で生きていく力を付けるには、私自身がずっと「所与のもの」だと思っているものを、そうじゃない人に解説するスキルって結構重要だったりすると思うのだけど、想像以上に難しいんですよこれ。だって最終的にはどんなに言葉を尽くしても意味がなくて、相手が行動しないと何にもならないから。

そして「行動しない」という事実に対して、間接的にできることって非常に限られているから。

どうしたらいいんだろう。すごく本気で悩んでいるんだ。

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