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「からあげレモン」で人を傷つけるやつを絶対に許さない!

令和元年現在、「からあげにレモンを絞る」ことは無神経の代名詞として、社会的正しさを背景に誰かを攻撃する「殴るための棒」となってしまっている。

『からあげにレモンを絞るやつは殴ってよい』
『いやレモン自体が不吉だ』
『レモンを殺せ!』

これではまるで【反からあげレモンカルト】ではないか。レモン汁に対する過剰防衛、レモンの要素が含まれるすべてのモノの撤廃、ひっそりとレモンを絞りたい穏健派に対する共感を微塵も感じさせない拒絶姿勢。

お前らは本当にからあげにレモンを絞られたことがあるのか? レモン汁がかけられたからあげがそんなに嫌いなのか? と問いたい。

おまえがあの時に感じた怒りはレモン汁に対してではなく、レモン派の「マジョリティによる無神経な同調圧力」に対してではなかったのか?

結局、お前はレモン云々ではなくそいつが嫌いなだけだ。誰かを安全に殴る棒が欲しいだけなのだ。社会を背景に殴らず個人と対話をせよ。

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そして、慣用句として独り歩きを始めた「からあげレモン」はさらなる悲劇を生み出した。

『LEGOムービー2(吹き替え版)』序盤に「これまで感じた最も強い怒り」を思い出す必要に迫られたユニキャットが『からあげにレモンを掛けられた!!許さん!!』と叫び出すのである。

恐ろしく完成度の高いファミリームービーの唯一の瑕疵!! 多様性を認め相互に影響を受けるファミリーや文化の統合をテーマにした作品の中で悪目立ちしてしまう文化の拒絶姿勢がそこにあった。(字幕版の情報があったら教えてください)

恐ろしいのは、これがギャグとして無神経に用いられているということだ。個人のレベルで対話で解決されるべき問題が「許されざる者」の代名詞として降臨している。おぞましい。

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『シグルイ』の最終巻。
藤木源之助と伊良子清玄は対決をしながら完全な相互理解を果たす。
お互いにからあげをめぐって争ってはいたが、伊良子は「何者かにからあげにレモンを絞ることを《強制される》こと」が我慢ならなかっただけなのだ。

自由意志!
レモンを絞るかどうかは己が決める。誰に命令されるものではない!

これまで無数のレモンを絞ってきた剣士が、伊良子の意思を受け継ぎ「無神経な同調圧力」を認識した途端、どうしてもレモンを絞ることができなくなってしまった。

そして幕の向こう側では二人の女性が焼き鳥の串を抜いてバラしていた……!

歴史フィクションとは教訓のためにある。
このような悲劇を繰り返してはならない。

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からあげ。かつて、そこには自由があった。
鶏肉に衣をつけて揚げる。シンプルにしてディープ。
スパイスは? 衣の種類は? 風味は? タレは?自由であった。
米がキャベツがビールが大量消費され人々はからあげに感謝を捧げた。

レモンの一つがなんだ。レモンを絞る自由意思は個人にある。対話せよ。

いじょうです。


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