見出し画像

『親切・オア・ダイ』第一章(全セクション版)

本作品は、カクヨムに掲載された『親切・オア・ダイ』の第一章を全掲載したものです。また逆噴射小説大賞2020に応募した『超高速《蜘蛛の糸》』と世界観を共有しています。(約8500文字。20分程度で読めます)

第1話「交通安全の注意喚起」

 思えば俺はずっと走り続けていた。懸命に死神に追い付かれないように振り返らずひたすらに走り続ける。返り血を浴びたまま、このクソ寒い夜に汗水たらして逃げ回っているのも、その一環だ。このまま俺は走り続け、やがてモルモットのように死んでしまうのだろう。

 背後から怒声が近づいてくる。路地を曲がるごとに追手が合流して音量が増していく。逃げて逃げて246号線まで出た。この先にヤスが待っているはずだ。"こどもの樹"を左手に見ながら、膝を高く上げて走り抜ける俺をヤクザの群れが追いかける。

 俺にはこども時代の記憶がない。物心ついた時にはオヤジに拾われていた。すでに他界した両親は共にヤクザ者だったそうで、中卒で組事務所に入った時には、オヤジから「血筋だな」とほめられた。親から受け継いでうれしかったのは高身長と足の速さだけだ。そのおかげで、鉄砲玉として何度も死線を潜りながらも俺は生き延びている。死にたくない、死にたくない、死にたくない!その一念だけで何年も過ごしてきた。もういやだ。死にたくない。俺は朋美のために生き延びるんだ。生きて生きて逃げ切ってやる。

 血塗れの男を先頭にしたヤクザ集団が246号線沿いを爆走する。人々は怯えて道を開けるが、動物には危機に面すると立ち止まる習性をもつタイプのヤツがいる。野良猫だ。俺の蒼白な顔面に恐怖したのか、足元に立ちすくむ猫。俺は決死のヘッドスライディングで猫を抱きかかえ、横断歩道をゴロゴロと転がり、タバコ自動販売機に激突した。

 強烈な衝撃に一瞬気を失う。猫は無事だ。驚かせて悪かったな。「ほらよ」と猫を放し、かぶりをふった俺をヤクザが取り囲んでいた。組の幹部をハジいた俺に対する敵意が全身に突き刺さる。猫を助けて窮鼠になっていれば世話はない。俺は両手を上げながらゆっくりと立ち上がる。俺は懐からタバコを抜き取り、タバコの先でヤクザを指しながら忠告する。

「あ~、そこ、交差点だから、飛び出す車に気を付けたほうがいいっすよ、ホラ」

 その直後、俺のタバコが指した方向を見るヤクザ数名を黒いプリウスが跳ね飛ばした。激しい衝突音。エンジン音はほとんどしなかった。さすが国産ハイブリット車。

「兄貴!はやく!」
「遅せえよヤス!」

 俺は助手席ドアを開けてプリウスに滑り込む。ヤスは急加速で246号線を都心方面へ走らせた。

 ◆◆◆◆◆

 数時間後、俺たちは奴らの追跡を振り切りアパートへ帰ってきた。俺を降ろすとヤスは意味深なウィンクをして去っていった。生きてまた朋美に会える。隠しきれない喜びが顔に出てしまったのだろうか。トントントンッとリズムよく階段を登る。足音を聞きつけて201号室の扉が開く。そこには、

「オヤジ……」
「九郎、まだ死んでないのか」

 神祇組組長・加賀直也、その人が居た。
 俺より頭一つ低いがどっしりとした肉体。歴戦のヤクザの肉だ。

「九郎、次の鉄砲玉(ゴト)がある。それまで良く休んでおけ」

 オヤジは俺を肩で押しのけると部屋を出ていった。後には困惑した顔の朋美と分厚い財布が部屋に残されていた。

 ◆◆◆◆◆

 数日後、俺は埠頭である男と対峙していた。神祇組のシマで不審な保険勧誘を繰り返す謎の男。こいつがとにかく腕の立つヤツらしい。そこで俺に白羽の矢が立ったという訳だ。

 分厚い肉体を包んだ白いスーツに頑強なアゴ。その自信に満ち溢れた笑みは何度殺しても崩れるそぶりを見せない。殺しても死なないような男はいくらでもいたが、殺すたびに降臨してくる男は初めてだ。

 俺は悲鳴を上げながら叫ぶ。

「なんなんだよお前は!!」

「俺の名は神田一生(かんだいっしょう)、ちょっとした保険外交員さ。あんた、水野九郎(みずのくろう)クン、だね。カルマの積立に興味はないか。鉄砲玉なんだろ?」

 "情けは人の為ならず"、この嘘っぽい格言に真実が込められていることを知ったのはこの時だった。この世は「親切・オア・ダイ」。

 つまり、親切をし続けなければ生き延びられない世界だということを。

画像1

第2話「交通弱者の道路横断を補助」

 北村多江は黄昏時の三宿交差点で立ちすくんでいた。千葉から息子夫婦が暮らす世田谷までたどり着いたは良いが、どうやら駅の出口を間違えてしまったらしい。目の前には片側三車線の広大な横断歩道が広がっている。ひっきりなしに往来する自動車が恐怖心を駆り立てる。背負った風呂敷包みが重い。信号が青のうちにこの横断歩道を渡り切れるだろうか。都会の車は恐ろしい。多江は絶望に立ちすくんでいる。そこへ「ほらよ」と長身の男が多江に手を差し出した。

 シュッとした黒スーツに黒シャツ、紫紺のネクタイ。どうみてもカタギのいでたちではない。ヤクザか不良の類であろう。多江はギョッとして目を見開いたが、その伏し目がちで睫毛の長い(少女漫画のような)眼差しの優しさに多江は思わず男の手を取った。

 歩行者信号が青に変わり、多江は男に手を引かれて横断歩道を渡り始めた。青信号の間隔は道幅相応に長く、思い切って横断を開始すれば何も恐れることはなかった。多江は男のエスコートに安堵した。だが、道幅の半分を過ぎた頃、男は握る手に力を加えた。乱暴な右折車両が二人の横断ルートへ侵入してきたのである。

 多江は思わず目を伏せる。だが衝突は起こらなかった。男が危険を察知して右折車両を片手で制止したのである。右折ドライバーは思わず急停車をした。交通ルールに従ったわけではない、運転手は、男が放つ、紛れもない殺人者の視線を怖れたのだ。

「ほらよ、渡れたぜ」

 横断歩道を渡った先には、多江の到着の遅さを心配した義娘が待ち構えてた。

「お義母さんったら!出口を間違えたでしょ!」

「すまないねえ、でもホラこのヤクザさんが助けてくれて……」

 多江が礼を述べようと、すでに男は姿を消していた。

「あれ、おかしいねえ?さっきまでここに優しい人がいたんだけどねえ」

「天使だったのかもしれないわね」

「天使?」

「うん、"街角のヤクザ天使"。世田谷には困っている人を助けてくれるヤクザがいるんだって」

「へえ~」

 多江が手を合わせ「ありがとうございます。ナンマンダブナンマンダブ」とつぶやく。すると両掌から薄く光があふれ天に昇って行った。

 ◆◆◆◆◆

 俺は走り続けていた。交通量が多く道幅が広い国道沿いは格好の親切ポイントだ。老婆を一人助けたら、次の老婆を探して一走り。老婆はいないか。道路横断に不安がある老婆は居ないか。俺は目を光らせながら走り続けている。

 埠頭での神田一生との会話の中身はこのようなものだった。

「俺は天界の代理人(エージェント)的なやつでさ、ほら知ってるだろ『蜘蛛の糸』」
「『蜘蛛の糸』? 芥川龍之介の小説か?」
「なら話が早いな、要するにアレを保険サービスとして提供している者だ」
「保険サービス?」

 神田は地面を指差し、そのまま天を指さしながら説明を続ける。
「カンダタが天へ昇るチャンスを得られたのは、かつてあの男が気まぐれで蜘蛛を生かしたからだ。たった一回の善行で、人間一人が生きかえることができるほどのエネルギーが生まれる」
「それが俺と何の関係があるんだ」
「世の中には善行が満ちている。だが、そのエネルギーを意識的に活用している人間はほとんどいない、ということだ」
「知らん。俺はヤクザだ。見込み違いだぜ」
「俺は見ていたよ。南青山で猫を助けただろ?お前は根が善人だ」
「お前を何度も殺したとしてもか?」
「俺を何度も殺したお前だからさ。俺もかつては人を殺して回ったものさ。それでもこうして天界の代理人として、ここにいる」

 神田は両掌を上に向けて肩をすくめるジェスチャーをする。
「そんな誘いをして、お前らにどんなメリットがある?」
「天界は良質な善カルマを得られる。それにな、天界はコンテンツ不足なんだ」
「コンテンツ不足?」
「話せば長くなるんだが、蜘蛛の糸のブロードバンド化によって天界のインターネット回線が増強された。で、天界の方々は地獄からの走馬灯配信サービス NETHERFLIXに夢中になった」
「それは、NETFLIX的なアレか?」
「そのアレだ。ヤツらは地獄に落ちた人間の走馬灯を追体験して評価をつけているんだが、飽きてきたんだよな」
「そこでコンテンツ不足、と」
「物分かりがいいな、そういうことだ。天界は自らが好みのコンテンツ制作に乗り出した」

「つまり」神田は俺を指さして宣言する。
「天界はお前のような、純真な心をもつ悪人が善行を積んで天に昇る姿が見たい、ということだ」
「俺の人生は見世物じゃねーよ!」
「その代わり生き返れるぜ。俺のように何度も」
 俺は黙り込んでしまった。組織の鉄砲玉として生きている限り、死は免れない。仕事の難度も上がる一方だ。このまま死ねば、朋美はどうなる。俺は朋美と未来を生きたい。

 神田は俺の様子を見て得心したようだ。ニヤリと笑うと懐から血判状を取り出した。
「契約成立だな、ここに拇印をくれ。おいおい免責事項とかを説明していくからよ――」

 俺は交差点で本日三人目の老婆の横断を補助している。そろそろ蘇生のためのカルマが貯まったようだ。俺は路地に入り路上駐車をしている黒いプリウスをノックする。

「兄貴、遅かったですね」

 黒いプリウスのハンドルを握ったヤスが俺に軽口を浴びせながらアクセルを踏み込み、国道246号線を渋谷方面へ走らせる。

「悪ぃな、これで準備万端だ。この世に思い残すことは一つもねえ」
「姐さんと会ってたんですか?うらやましいな」
「いや、ちょっとした野暮用さ」
「もしかして別のオンナ? 兄貴、あんなに尽くしてくれる姐さんを裏切るなんて許せねえ」
「よせよ、本当に何でもないのさ」

 復活保険の秘密は誰にも明かすことはできない、免責事項にも書かれている。

「兄貴、本当に本家に弓引くつもりですか?」
「俺が殺らなきゃならねえ。オヤジの期待には応えなきゃ、な」

 プリウスは渋谷を抜け青山方面へ向かう。今夜、俺に課せられた任務は神祇組の上位組織である図方会ずがたかい・松平会長の暗殺だ。

「いまの三代目は頭が固え、このままじゃ組織が滅びちまう。直参の意思も伝えにゃならねえぜ」

 だが、本家警護の真っ只中へ襲撃すれば生きて帰ることは当然不可能。つまりは片道切符の鉄砲玉である。

 「あのオヤジ、つくづく俺を殺す気満々なんだよなあ……」

 助手席から夜景を眺めながら俺はひとりごちた。

画像2

第3話「化粧室の自主清掃」

 ヤスが車を走らせる先は、南青山にある料亭「美奈魅」だ。繁華街から少し離れた裏通りにひっそりとした庭園を構える新興料亭である。この夜、「美奈魅」の竹の間では図方会の会長派が会合を行う予定になっていた。

 水野が所属する神祇組は関東一円を勢力下に置く図方会の構成組織の一つだ。図方会・初代会長松平家康と直接杯を交わした人物が創設者となっている「直参」であるため小規模な構成組織の一つといっても、その発言力は小さなものではない。

 その神祇組組長・加賀直也に「現在の三代目は頭が固てえ。初代の志を受け継いでいるのは国際派の水戸副会長だ」と吹き込まれた水野は一も二もなく鉄砲玉を承諾した。

 元より親分に拾われた命だ。親に命を返す、そのことに異存はない。ただひとつ、内縁の妻・朋美のことだけが気がかりだったが「朋美のことは俺に任せろ」という加賀組長の後押しで不安はなくなった。

 プリウスは表参道交差点を折れ、南青山の人気のない路地の廃ビル前で停車した。

「いつも通り、少し離れた場所で待機してくれ」
「兄貴、死なないでくださいね。姐さんが待ってるんだ。それに」
「ヤスよ、俺を誰だと思ってる。一度殺されたくらいじゃ死なねえさ」

 ヤスは運転席から助手席で匕首(ドス)と拳銃(チャカ)を点検して懐に仕舞い込む水野の横顔を見つめる。後方に撫でつけた黒髪、白い肌に映える伏し目がちな薄茶の瞳は目の前を見ているようでいて、何処か遠くの星を見据えているようにも見える。ヤスは水野の睫毛の長さに息を呑み、その儚さに不安を覚える。

「兄貴ィ……」
「俺に任せろ」

 瞳を閉じて三度深呼吸をすると、水野に殺人者の眼が宿った。

 ◆◆◆◆◆

 水野は遠目から警護ヤクザが固める「美奈魅」玄関口の様子を観察する。玄関からの侵入は不可能。そのうえ料亭は入り組んだ間取りをしており遠距離からの狙撃も難しい。ここは料亭内へ潜入し密かに暗殺をする作戦が最適と思われた。

 すでに加賀組長の指金で小間使いの一人は買収済みだ。水野は路地に面した化粧室の、"偶然"施錠を忘れた小窓から「美奈魅」へ侵入する。個室には誰もいない。足音を殺しながらタンクに足をかけ、階段のように洋式便器を降りて、そろりと個室扉を開く。幸い化粧室内は無人のようだ。水野が左右の個室の安全を確認して化粧室の扉に手をかけた瞬間、小用を足しに現れたSPヤクザと鉢合わせた。

「!」
「だ(誰か!)」

 水野はヤクザの口をふさぎ、小便器が並ぶ壁に押し付けるとギロチンチョークの要領で締め落とした。ヤクザは失禁しながら、「一歩前にお願いします」というテプララベルの横に崩れ落ちる。水野は気を失ったヤクザを抱え上げて静かに個室の便器に座らせるとインカムを踏みつぶし、個室の扉を閉じた。

 《清掃中》の立看板を置き、男性用化粧室を出た水野は拳銃へ消音器を取り付けながら足音を殺して竹の間へ近づいていく。
 竹の間の様子を探るために慎重に耳を寄せる。室内の上座には松平会長、供応する会長派の幹部たち、それらを取り囲むようにSPヤクザが3人。四方のうち、包囲が欠けている廊下側の位置にいたのが先ほど「掃除」したSPヤクザだろう。ならばこの位置から切り込めば王手だ。水野はチャカを顔の横で構える。

 わずかに襖を開き中の様子を覗き見ると、松平会長を囲んだ幹部たちの危険な会話が漏れ聞こえてくる。「神祇組の件ですが」「加賀は頭がキレすぎる」「危ない」「早めに手を打たなくては」「水戸も」水野の脳裏に組長の顔が蘇り頭に血が上る。

 スターン!水野は勢いよく襖を開きチャカを連射する。ビスッビスッビスッ。消音器越しの銃声が竹の間に響く。だが、銃弾は松平会長の盾になったSPによって防がれていた。まるで襲撃が予測されていたかのように。

「本当に来るとは思わなかったよ」

 防弾チョッキ越しにトカレフを撃ち込まれたSPが床で悶絶している。残る二人の男女SPがドスを逆手に構える。

「時間通りじゃないか。使えるね水野クン」

 幹部連中が床の間の日本刀を手に取り抜刀し、図方会三代目・松平家光が快心の笑みを水野に浴びせた。

 ◆◆◆◆◆

「朋美よ、美しくなったなあ。そんなに九郎の具合がいいのか?え?」

 都内、安アパートの一室で肉の厚い男が線の細い女ににじり寄っている。その男こそが神祇組組長・加賀直也その人であった。

「そろそろ水野は鉄砲玉としての役目を果たした頃だ」

「……九郎さんは死にません」

「さあ、朋美。あいつに払い下げてやったが、元々は俺の情婦スケだ。さあ、さあ」

「やめてください」

「どうせヤツは生きては帰れん、なぜなら、ふふ、ふふっ」

 にじり寄る加賀組長の巨体がちゃぶ台に触れ、ビール瓶とコップが倒れる。

(九郎さん……!)

第4話「肩引き」

「松平ァ!」
 スターン!水野は勢いよく襖を開きチャカを連射する。だが、その襲撃は予測されていたかのように防がれていた。
「本当に来るとは思わなかったよ」
 図方会三代目、暗い目をしたうらなりの男、松平家光が眼を光らせる。
「時間通りじゃないか。使えるね水野クン」
 室内の幹部連中が抜刀しポン刀の切っ先を水野へ向ける。

 俺は竹の間の中央へ進みながら頭をフル回転させていた。カチコミが漏れていた。 いや、このことは俺と組長しか知らないはず。どこからバレた?こいつが一枚上手だということか?

「イイ度胸だね。加賀と手を切ってウチに来ないか?」

 松平会長、直々のスカウト。周囲は2人のSPと幹部連中に囲まれている。絶体絶命四面楚歌。この場を生き残るには土下座して忠誠を誓うしかない。だが――
「お断りですよ。悪いが、俺にとって組長(オヤ)はひとりだけなんでね」

 水野はチャカを構え直す。

「殺せッ!」

 松平が護衛の後に下がると男女のSPが逆手のナイフで襲いかかってきた。

「成敗!」「成敗!」

 俺は女SPの刺突を捌き、背後に回って逆関節に捕らえる。背中にチャカを密着させれば防弾チョッキは関係ない。三発の銃弾が胸を突き破り竹の間が血に染まる。飛び散った血の跡を追って、死体を盾にした水野が前進する。

「成敗!?」

 男SPがナイフを振り下ろすが、「ほらよ」と水野は死体をSPに投げつける。思わず死体を抱きとめた男SPの頭部にチャカを撃ち込む。ビスッビスッカチッ。弾切れ。そこへ幹部が日本刀を浴びせかける。俺は半身になって刀を避け、弾丸切れしたチャカを斬撃幹部の顔面にスナップして投げつける。

「ウワッ」

 800グラムを顔面に受けた幹部は日本刀を取り落とす。俺は宙に浮いた日本刀をキャッチして、そのまま横薙ぎに竹の間を切り払う。襖が横一文字に裂ける。俺は松平会長に視線を向ける。「カァ~~ッ!」切断された衝立が板の間に落ち、奇妙な音を立てた。

 横薙ぎの時点で松平会長はすでに庭園に降りて応援を呼んでいた。

「出会え!出会え!」

 俺が松平の後を追って庭園に足を踏み入れると全方向からヤクザが殺到した。

「死ね!」「死ね!」「死ね!」

 俺は三連ヤクザのドス刺突をジャンプで避け、先頭ヤクザのサングラスを踏み砕き、包囲網を一気に飛び越える。大跳躍で松平の頭上へ到達し、日本刀を振り上げ切っ先を真下へ向けた。

「お命頂戴!」

 松平が対空のドスで俺の首を水平に切り裂く。俺は首の切断を意にも介さず、位置エネルギーの勢いで松平の胸に垂直に日本刀を突き刺してやった。俺たちはもんどり打って庭園に倒れこむ。動揺したヤクザが俺たちの死体に向けて次々とチャカを弾く。やがて俺と会長の血は入り交じり、薄汚れた一つの流れになって「美奈魅」の池に流れ込んだ。

 ◆◆◆◆◆

 RRRRRR。

 今まさに朋美が加賀組長にねじ伏せられようとしたその時、電話が鳴った。

「チッ 俺だ」
「なに?殺った?」
「水野は?」
「……そうか、よく殺ったな」

 加賀組長は、朋美を横目に見るとバツが悪そうな顔でベルトを締め、服の乱れを直した。

「朋美、すまなかったな。今日はこれで失礼するよ」

 ちゃぶ台に黒革の財布を放り投げ、加賀組長は玄関へ向かった。

「水野が帰ってきたら二人で美味いものでも食いなさい」

 先ほどまでの劣情が嘘のようにスッキリとした表情を取り戻した加賀は、足早にズンズンとした足跡を響かせながらアパートを駆け下りていった。待ち構えていたレクサスが無音で滑り出し、やがてすべての物音が消え、朋美のすすり泣く音だけが室内に取り残された。

 ◆◆◆◆◆

 南青山に光の柱が立った。マンション広告のように非現実的な光景は1秒だけメトロポリタンの興味を奪ったが、すぐに人々は平静を取り戻し、光の柱から降り立った男、水野九郎を気に留めるものは、ほとんどいなかった。

 水野は復活した己の肉体を不思議そうに見つめると、ゆっくりと歩きだす。死ぬ寸前の姿で降臨している。頭がぼんやりして復活までの間に何があったかはよく思い出せない。

 肉体の動作確認のために首を鳴らしたり手首や足首をブラブラさせながら路地を歩く水野は、曲がり角で、総白髪で長身の男と鉢合わせになった。

「おっと、すまねえな」
「こちらこそ」

 二人は互いに体を斜めに傾げ、肩を引いてすれ違った。水野は路地の先に黒いプリウスを発見して頬をほころばせる。

 「美奈魅」から少し離れた位置で待機をしていたヤスは光の降りた方向から歩いてくる水野を見つけるとプリウスを降りて走り出した。

「兄貴!ご無事で!?」
「ああ、オヤジに役目は果たしたと伝えてくれ」

 ヤスは組長へ電話連絡をしながら、水野の様子を観察する。いつもビッと着込んでいたスーツは乱れ「美奈魅」での激戦を物語っている。不思議なことに返り血ひとつも浴びていないようだった。

「兄貴、オヤジへ伝えました。早く帰って美味いものでも食えって」

 水野はプリウスのシートに深くもたれかかると目を瞑った。薄氷の勝利、いや、完全に殺されていた。復活の保険がなければどうなっていたことか。それに、襲撃を知っていたかのような会長の態度が気にかかる……(まさか)水野はかすかに浮かんだ嫌疑を振りはらう。

 黒いプリウスは夜の街に滑り出した。その様子を総白髪の男が見つめている。男の周囲を数名の油断のない佇まいの男達が固めている。

「長官、何か気にかかることでも?」
「光の柱から、出てきたあの男……」
「尾行けますか?」
「いや、それには及ばん。だが身元を洗っておいてくれ」
「ハッ」

 胸元のバッジを光らせ、男達は表参道方面へ消えた。

(第一章おわり)
(第二章へつづく)

#小説 #生命保険 #逆噴射小説大賞2020 #蜘蛛の糸 #IT革命


いつもたくさんのチヤホヤをありがとうございます。頂いたサポートは取材に使用したり他の記事のサポートに使用させてもらっています。