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「空飛ぶタイヤ」の未解決問題

タイヤは本当に空を飛んだ。

この物語は実際に起きた「三菱リコール隠し」事件を基にしている。
冒頭のシーンは2002年に起きた「横浜母子3人死傷事故」。母親が死亡、長男と次男は軽症。「ハブ」の破損が原因。物語の中の事故とほとんど同じ。

実際に起きた事件では、その事故より前の2000年に匿名社員による内部告発で、大量の不具合情報の隠蔽=リコール隠しが発覚していた。そして事故後の2004年にはそれを上回る規模のリコール隠しが発覚。

決して完全なフィクションではなく、事件の一部始終がリアルに描かれたこの作品。私が抱いたのは「何も解決していない」という虚しさだ。

そう、最後まで何も解決していない。
安直に捉えれば、いかにも悪人らしきあの常務取締役(狩野)が逮捕され、それが大々的に報道されたことで、万事が休していた赤松運送がなんとか助かった、めでたしめでたし…なのだが、それはフレームの中で作品として完結するための演出にすぎない。

組織の不正はなぜ起こるのか。

物語の中には5つの組織が登場する。
・赤松運送
・ホープ自動車
・東京ホープ銀行
・週刊潮流
・港北警察署

際立つのは、それぞれの組織の中で揺れ動く「個人」の存在。
個人は組織に負けたり、勝ったりする。
決定的な証拠を掴んでおきながら、報じることができなかった週刊潮流の記者(榎本)。
捜査方針を転換する際、「赤松運送にガサ入れまでして何を今さら」という署員らの責めを負っても、自らの確信を突き通した高幡刑事。
いい加減な事業計画でも融資する、そんなグループ会社の馴れ合いを嫌った井崎。

そんな中でホープ自動車の内部はどうだったか。
この作品の中ではっきりと顔の見える登場人物のうち、最後までずっと「組織の人間」であり続けた唯一の登場人物が常務取締役の狩野だ。
沢田とその仲間たちは「個人」としてなんとか画策し、最終的は沢田が警察側に渡したPCが決定的な証拠となって事件は暴かれた。

それで解決なのか。きっと違う。
狩野が消えたところで、また「狩野」が生まれる。それがホープ自動車の土壌であり、元凶はまさにその「組織そのもの」にあるのではないだろうか。

最後に赤松と沢田が、事故現場で花を手向け、手を合わせるシーン。
赤松「自分が歩き回って手に入れたのは国交省への報告資料だけだ。あれだけでは不十分だと思っていた。なのに全て暴かれた。ホープ自動車の誰かが告発したんじゃないのか。」
沢田「さあ、自分にはさっぱり。」
赤松「それでも組織の人間か。」
沢田「それしか生きる道がありませんから。」

そう、事件後も沢田は「組織の人間」であり続けていた。事件を真相に導いたのはたしかに「個人」としての沢田だが、不正の物語を続けようとしているのもまた沢田なのである。しかし沢田は悪くない。生きるためなのだから。
首謀者狩りをしただけでは終わらない、組織の問題の根深さがここにある。

組織の中にあっても「個人」としての自分を失うな、と言うは易く行うは難し。そもそも大きな組織では自分の組織の中で何が起こっているのかを察知するのは難しい。物語の中では「T会議」として登場したが、実際の事件でも部署内での隠蔽工作が行われており、部署外の人間には察知しにくい状況があったらしい。
(参考:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/48965)

そして「自分ゴト化」も難しい。人事異動を餌に一時口封じされた沢田のように、問題そのものを「自分ゴト化」できずに、念願の部署に入れるというただの「自分ゴト」を優先してしまう。組織の課題をうまく「自分ゴト化」できる体制でなければならない。

このように組織そのものに問題があるのに、それらは何も解決していないのだから、この事件そのものについても何も解決していないのだ。

さらに、現実はこれよりも残酷だ。

まったく驚くべきことに、このモデルとなった企業は今も堂々と存在している。グループ会社による救済のための出資。この点は、作品の中でグループ会社への融資を断ったホープ銀行の描写と異なる。

そして物語の中でリコール隠しが発覚した後、赤松運送は回復したように描かれていたが、実際の運送業者は汚名を着せられたまま廃業。

さらに2016年にはまたも三菱自動車で燃費不正問題が発覚。国土交通省に燃費を5〜10%水増しする不正なデータを提出していた。

何も、解決していない。

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