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「英語をマスターする方法」はあるのか?



ごく普通の日本人にとってはともすれば一生ついてまわる英語との闘い。。。でもこれ、本当にそんなに大変なことなのでしょうか?苦手意識を持ってしまっている人はかなり多いと思いますが、言語はもっと簡単に有効活用できるものだと私は確信しています。そんなに長い間悩んでいるのはとても勿体ないと思うのです。ここでは個人のごく普通の英語教育から始まって英語を使って生活できるようになるまでの経験を元に英語学習について考えます。

唯一の「英語のマスター法」??それはマスターするという発想を捨てること

海外で暮らすと、日本人が英語で苦労している様はよく分かります。国内で暮らすとあの手この手で売り出されている英会話や英語教材を目にしたり、政府を挙げて英語教育に取り組んだりしているのを目にします。「英語ネイティブ」というのは第一言語として英語を身につけた人のことで主に第一言語を身につける事ができる小学校低学年くらいまでの一定時期に英語で生活をしなければならないとされています。この層を除いた大多数の普通の日本人にとっては「英語のマスター法」なるものがとても難しいものとしてあたかも難攻不落の得難いもののように扱うのが当たり前になっていると感じます。
ですが、本当にそうでしょうか?

私は自分自身の英語体験から英語の「マスター法」、、いえ、個人の生活で英語を自在に扱えるようになる方法論というのはもっとシンプルなものだと考えています。何故なら、真の人種のるつぼであるニューヨークで暮らして世界中の人が等身大の英語を使って暮らすのを目撃しているからです。英語をどれくらい流暢に話すかという形質(医学用語ですが、性質とでも現象とでも言いましょうか)と、例えば学歴や職種などとの相関は余り高くないと思っています。数十年いても訛りのきつい大学教授もいますし、所謂エッセンシャルワーカーとされていても流暢な外国人もいます。日本にいる日本人でも同じことではないでしょうか?もし第二言語としての英語が常人の能力で身につけることができないくらいに難しいのなら、ある意味においては世界一「世知辛い」この街では外国人は生活できないでしょう。つまり、長期に渡って英語が苦手なのは何かボタンのかけ違いがあると考えるのが自然なのではないでしょうか?

「英語のマスターが難しい」理由を紐解く

 それでは何故日本ではここまで英語コンプレックスが大きくなってしまっているのか真面目に考えてみましょう。最初に結論を言うなら、それは「英語をマスターする」という一体誰がどの様になればそう言えるのか意味がわからない抽象的なゴールをさも存在する様に設定しているからなのではないでしょうか?その亡霊の様な英語マスター法を求めて、そもそも学習の仕組みが全く異なるネイティブの人に学習法を熱心に聞くことや、自分の日常生活と全然関係なくそして内容に興味もない英語教材を購入して時間を費やすことはとてもエネルギーの無駄遣いになるかもしれません。十二分に時間をかけられるならばおそらくそれでも一定の成果を得るかもしれません。ですが、私を含む一般人は普通は外国語以外にも仕事や生活でやらなければいけないことで忙しいことが多いものです。外国語学習にはなるべく時間をかけないかもしくは本業をこなしながらいつの間にか身についていくのが最もありがたいものです。人生の時間を有効活用するには日常生活と同時並行の英語学習が理想的だと思います。

 次に英語と日本語の違いについて考えます。日本の学校を卒業した「普通の」日本人医師がアメリカで仕事をしながら生きていくには職場や私生活、そして交友関係の中で医学や医療に関する言葉を多く使います。それで生活をしているので当然です。英語は日本語ほど言葉の格式が決まっていないので、医学英語・研究室英語の様な職業上の言葉が日常生活の表現と大きく重なっています。つまりは各個人が自分の日常生活で身につけた英語こそが最もタイムリーでパワフルな情報源であると考えています。最も役に立つ英語学習の情報はお金を出して特別な時間を割いて大して興味もない内容を書き綴った文章を読む苦痛に満ちた方法ではなく、自分の日常で起きている中から得られるのではないでしょうか?つまりは、外国に住んで英語ができないととても困ることになる状況に自分を追い込むか、もしくは日本にいながらにして日常生活にゲーム感覚で自分だけの英語ルールを課して生活の多言語化をしていくと「役に立って動機が長続きする」理想の教材が出来上がるのだと思います。

 このことを多くの人により身近に感じてほしいと切に願っています。私は中学一年生からアルファベットの綴り方を習い試験勉強を地味に続けることから始まった、一般に欠陥だらけでダメだとされている「受験英語」から大学での生活習慣。それだけで十二分に英語を自在に扱えると確信しています。はっきり申し上げます。「英語のマスター法」を外部に求めるからこそ、英語は永遠にマスターできないのです!!各個人の最良の教材は自分の生活の中から来るはずです。

 ともかく、地味だけど着実な方法を続けることで、ちょっとだけ英語勉強をこじらせてしまって取り残されがちな日本で医学英語の勉強法を通じて人の社会の役に立てるという野望も持っています。診療に関連する英語は日本人だけでなく日本で暮らす外国人の役にも立つものです。海外に滞在する邦人にも役に立つので一石何鳥にも匹敵する事業だと思っています。

 既存の英語教材のことを悪く言っている様にも聞こえてしまいそうですが、そこに過剰に期待することはよく無いものの、あくまで自分の主たる勉強法に注ぎ足すものであればそれをやったから英語が下手になるわけでもなく、きっとプラスになるものも含まれていると思います。(余りフォローになっていないか。。。)


そろそろ「マスター法」について書きます

書き出しに従って、英語のマスター法というのを考えます。少し捻った書き方になりますが、「英語マスター法」という考え方自体が殆どの人にとってあまり意味のない目標なのではないでしょうか?殆ど詐欺だとお怒りになる方もおられると思いますが、もう少し聞いてください。至って真面目な議論です。

マスターするという表現は、登る山を無駄に高く見せてしまいます。英語という言語を支配する存在になるという意味ですから、ものすごく高い能力で全治全能の存在として英語界に君臨するというニュアンスがあります。万人に通用してかつ万能の高みに登れる方法論が本当にあるのでしょうか?その様な捉え所のないものを求めるから、結局得られずに終わるのではないでしょうか?

 筆者は朝起きてから寝るまでずっと英語でも特に困らない生活をしていますが、マスターして無意識でいくらでも流暢な現地英語が喋れるなどとは全く思っていません。日々色々な局面で調整しながら喋っているのですが、それを聞いた同胞からは流暢という印象をもたれたことがありますが、それはある種私の様な外国人英語の使い手の術中にハマっているのかもしれません。ですが、その「インチキ英語マスター」こそが言葉のことで損をせずに外国で生きていくためにとても重要であると考えています。

 エルロイという作家の小説で「アメリカンタブロイド」というJFKの暗殺を題材にした作品があります。その中で印象的な描写として、フランス系の移民であるギャングとも付き合いのある男は、流暢な英語を話すために毎日人知れずたくさんの英語の文章を読み、次にこういうことがあればこういう洒落た言い回しをしようなどと一生懸命作戦を練っているという設定があるのです。文学に造詣のない私にはこれがどういう意味の伏線なのか分かり兼ねましたが、当時大学生でまだまだ言語の発展途上であった自分には妙に納得のいく内容でした。そういうケアをし続ける人と、少し用足しができる様になったら「英語なんて何とかなる」とそれ以上情報を遮断してしまう人との間には英語に大きな差が現れることになります。下手をすると一生「片言の変な英語を使う東洋人」キャラに収まるかもしれません。


「マスター法」についてちょっと言い方を変えます。英語環境は個人的なものだということをお話しします。


ーーあなた自身について自問自答してください

>仕事が何か、仕事相手は何語を操るのか。ヨーロッパの人が多いか?アメリカ人か?日本以外のアジアからの人たちか?
>今どこに住んでいるのか
>自分と話し相手の関係は? 上司なのか同僚なのか、家族なのか?話し相手の年齢、経歴、初対面か、相手はネイティブなのか外国人どうしなのか?

きりがないのでやめますが、こういう条件によって確実に個人個人でどういう英語がどれくらい必要なのかは全然違うのです。

また必要かどうかだけでなく、その人がどういう程度の英語を操りたいのか(仕事を任せてもらえる最低限の英語でいいのか、もっとプロの言葉に聞こえるのを目指しているか、生まれ育ちがアメリカだと思われたいか、ニューヨーカーと間違われる様に方言を使い分ける、映画の人物みたいに喋りたい?など)

10人学習者がいれば、実際には10通りの違う需要があるのが英語学習です。であるからこそ言語学の教授にでもならない限り「マスターする」という考えに拘らず自分にとって必要な英語能力を現状とのギャップを見つめて一つ一つ埋めていけばいいだけです。

私個人は、元々英語に少し興味のある中学生で日本の普通の学校で少しだけ英語が得意でした。そこから、英語の偏差値でだいぶ救われて医学部に入り、毎日授業を英語でノートに取る事を卒業まで続けました。
外国人の友人は数人いましたが、基本的には特別な英語の勉強をしなくても医師になってすぐに外国人には英語で診療していましたし、外国人医師がゲストで科に来た時にはカンファレンスを同時通訳したりしていました。バイリンガルの医師になることはそれほど労力をかけずに達成された経験から、無理をせずに日常生活に英語を取り入れるだけで良いのだと思うようになったものです。

日本から英語コンプレックスをなくしたいと思っています。

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