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猫といるときは泣かない

子どもの頃からよく泣く子だった。何かが上手くできない時、このままでは怒られると思ってしまい、こんなこともできない自分が情けなくて泣きそうになる。

泣いたら駄目だ、もっと責められると頭によぎった時は、もう泣きだしている。そうなると言葉がうまく出なくなって涙が止まらなくなる。

なぜ泣いているのか、泣いていたらわからないと問い詰められる。わからないのも当然だろう。

わたしは失敗する手前で、失敗することが怖くて泣いていて、まだそこで何も起きていないのだから。

わたしは、わたしの行動が失敗することで世界が崩れていくような怖さを感じる。子どもが少し変なことを言った、場違いな行動をしても、大したことないのにと今は思う。 

たが、今でもわたしはあまり変わらない。人前で泣くことはなくなったけれど、何かミスをするのではないかといつも怯えている。過去の後悔に囚われて、未来への不安に苛まれて、いつも立ちすくんでいる。

先日、内向的な人に向けて書かれた本を読んだ。そこには内向的な人は猫といるときだけはありのままの自分でいられると書いてあった。

確かにそうだった。猫といるときのわたしは怯えることなくいられる。そこに後悔する過去も不安な未来もない。ただ目の前に猫がいるだけの世界。

私の好きな詩人の長田弘にそんなタイトルのエッセイがある。「猫に未来はない」。よくわからないタイトルだと昔は思ったけど、今のわたしには理解できる。


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