ハンジ
忘れてしまわないように。
わたしについて考えたこと。後で読み直すために書き残す。
夢なのかな。
言葉ならぬ世界の記録
先月の終わりあたりから、気持ちがふっと軽くなった。左目の調子が良くなったからだろう。 多少のリスクはある手術を自分から進んでしてもらい無事に回復するという成功体験が、自己肯定感を生んでくれた。 今までは自分の選択に自信がなくて、うまくいかなければ環境や他人ではなく自分を責めて、成果を上げても偶然だからと卑屈になっていた。 ところが、今のわたしは何をするにしても自己肯定感がある。いいことがあれば日頃の成果だと感じるし、ミスがあっても落ち込まずにまあいいかと流して次に向けて
子供の頃に歩いてた裏道のことをたまに思いだす。そこは、両手を広げたら両側に手が届くほどの狭くて細く妙に曲がりくねった道。 道の両側には空地や工場の裏側のフェンスばかりが続いている。家がたまにあるけど、勝手口や裏庭に面していて玄関は表通りに向いている。ひと通りはほとんどない。 曲がりくねった道の最後あたりに古い洋館風の建物がある。蔓草が這ったフェンスに囲まれて、中の様子はわからない。庭には雑草が生い茂り人が住んでいる気配はまったくない。 その洋館は玄関がどこにあるのかもよ
年明けにみたパーフェクトデイズのことを今でもよく思い返す。 (以下、ネタバレしてます) この映画では無口で不器用な男性を役所広司が演じている。彼は自分の美意識のなかに閉じこもった生活をする。 読書、音楽、写真、盆栽といった趣味。銭湯や居酒屋に通う日常。トイレ掃除を完璧にするという仕事へのこだわり。 大きな変化ではなく、変わらない日常に喜びを見いだすことは、わたしにとっても理想的で憧れる姿。役所広司の口下手で不器用なところにも共感する。 ラストシーンの涙は違う人生があっ
昔からお風呂で湯船に浸かっていると怒りが込み上げて収まりがつかなくなることがある。 ひとりの時間になって考えごとをして、思い返したことがきっかけなのだけど、それにしてもどうしてこんなに怒りがあふれるのか。アドレナリン? ドーパミン? 何かの脳内物質が生成されているのだろうか。 このような怒りモード突入はランニング中にも何度か発生したことがある。わたしはそこまで振り切れたことはないけど、怒りでどこかに怒鳴り込む人は、走っているうちに怒りのテンションが上がるのだろう。ゆっくり
知人がふらりと店にやってきて世間話をする。彼は筋金入りの発達障害だが、聞くと最近は発達障害の子供向けの薬があるそうだ。大人の彼が飲んでも世界がスッキリと見えるけど、あまり飲みたくないらしい。 でも、発達障害で不登校の子供は飲んで学校に行くのはありかなと話す。 不登校の子供は発達障害の場合もあって、彼もまたほとんど学校に行っていない。 わたしは何もわかってないので、学校に行って勉強することや友だちができるのも大事だからねと答えると、即座に彼に否定された。 成長期に自尊心
気持ちよく晴れていたのでドアを開けたまま営業していた。いつもならストーブをつけて店内を温めていないと震えてしまうのだけど、今日は大丈夫。 ふと気づけば3月も半ばに。お水取りも終わったし、もう春は近い。 春を前にするとそわそわする。桜が咲き始める。 歳を重ねて何度も見ているのに、歳を重ねるほもに桜が美しく思えるのはなぜだろう。 咲いて散る桜に、いろいろなものが重なってゆくからだろうか。
子どもの頃からよく泣く子だった。何かが上手くできない時、このままでは怒られると思ってしまい、こんなこともできない自分が情けなくて泣きそうになる。 泣いたら駄目だ、もっと責められると頭によぎった時は、もう泣きだしている。そうなると言葉がうまく出なくなって涙が止まらなくなる。 なぜ泣いているのか、泣いていたらわからないと問い詰められる。わからないのも当然だろう。 わたしは失敗する手前で、失敗することが怖くて泣いていて、まだそこで何も起きていないのだから。 わたしは、わたし
たくさんフォローを増やしてみた。
手術した左目は少し見えるようになってきた。角膜の白濁も日々減少。乳白色のガラス越しの世界に、なんとなく透明感かでてきた。 だが、それでも全体的に露出オーバーで世界は白飛びしている。視界上部には何やら黒いモヤモヤしたものがいる。なんだろうこいつは。 涙目はかなり改善はされたものの、眩しくてすぐうるんだ目になってしまうので、目を開けていられるのも5秒や10秒程度。ほとんどの時間は目を閉じて眼帯をして過ごしている。 眩しさに弱いので、薄暗い部屋でベッドに横になっているとさらに
左目の手術を終えた。もっとすっきりと見えるようになるかと思ったが、角膜が白濁していて世界はぼんやりとしか見えなかった。さらに、視界の上部に黒いモヤモヤしたものがいる。視線を動かすとゆらゆらと動く。なんだろこれは。 手術翌日は涙で何も見えません状態だった。眩しさも強烈で目を開けていられない。 目の奥の鈍痛に加えて切り傷からくるピリピリした痛みもあった。さらに、目の中に砂粒があるような感触もあって(お医者さんによると傷口のためらしい)目を動かすのもつらい。眼帯をして目を閉じて
駅にもうすぐ着くというので迎えに行くと、娘はすでにいつもの場所に待っていて寒い寒いと車に乗り込む。さっきまで少し雪が降っていたけれど、もうやんでいた。娘が「ホワイトバースデーやな」と自分から言いだす。わたしも先ほど妻に同じことを言っていたと伝える。 今日は友だちと日本橋に遊びに行って専門店のりんご飴を食べたそうだ。帰宅するとそそくさと部屋に上がって、部屋着にしている中学の体操服姿で降りてくる。目の辺りは少し化粧をしているようで、髪の毛もいつになく真っ直ぐになっていた。 誕
確定申告やら日々の仕事やイレギュラーな案件などあふれる仕事に追いやられて休日でも起きてすぐノートパソコンを開いて働きづくしでいる。 息抜きをしようとスマホに手を伸ばすが、そこにも仕事の連絡がきているわけで、放っておくのも落ち着かず結局また仕事をしている。 先日は寝込んでいたこともあり、体調が万全でなく疲労感がすぐに全身に広がるのに、休息を取る気にならずパソコンと書類に向き合っている。 確定申告は1月中に終わらせて仕事も適時片付けているはずだったのに、なぜこんなことに。そ
体調を崩して寝ている。熱はないけど鼻水と咳がでる。花粉症も持っているので症状は近い。寒暖差アレルギーあるので、そっちかも知れない。 熱めの風呂に入り、水をたくさん飲んで湯冷めしないうちに布団に入る。思えば若い頃から風邪っぽい時はいつもこうしていた。ただの風邪や花粉症的なものなら、睡眠の力で翌朝には多少なりとも回復している。 ーー 知人がFacebookに書いている日記を読むと完成度が高すぎて劣等感に苛まれる。彼は本も出版しているくらいだし、ライターの仕事もしていたのだか
同じ業界の知人に飲み会に誘ってもらって快諾したものの、人見知りと人間不信が発動してはやくも憂鬱な気分になってしまう。飲み会は4月の後半なのに。 参加者の半分は知人なので、神経を張りつめるほど気を使わなくても大丈夫だし、会話にまったく入れずに孤立していたたまれなくなる、なんてこともないはずなのに。 それでも、過去にそうした経験が多々あるからフラッシュバックが発生して胸が苦しくなる。 子どもの頃からの人見知りは、社会人経験の長さでなんとか解消されてはきたものの、ここ数年は人
noteの記事をあれこれ見て回る。わたしの好きな雰囲気の文章を書いている人に、なかなか巡り合わない。クラスでぽつんと教室の片隅で本を読んでいた頃を思いだす。 わたしはnoteの世界に合ってないんだろうなと思う。でも、noteは文章が書きやすいのがとても気に入っている。 インターフェイス、デザインなど他の何よりも使いやすくて気持ちよく打ち込める。スマホだとGmailやWordやメモ帳よりも圧倒的にnoteが書きやすい。文字サイズや文字間が最高なのだ。 そう思えば、本の感想
こんなこととしたら面白いかなと話したとき、相手にそれはこんなとこがダメだよねと言われて、ああ確かにそうだよねと納得する。そんな会話がしたいと思うけれど。 こんなことしたら面白いかなと話したとき、相手にそんなことありえない、なんでそんな考えになるのかと怒られて、まあそれはそうなんだけどさと引き下がる。 否定的な部分があっても、全体のなかには楽しい部分もあって、そのことについて肯定的に話したかったのだが。 最近の例えで言えば、ダウンタウンのネタが面白かった話をしようとしたら