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国を越えてこれまた変わる、親の役割

素敵なお菓子屋さん発見


先々週、友達が私の工房の近くにあるお菓子屋さんのお菓子を持ってきてくれた。彼女の息子君がそこで研修をしているので、遊びに行ってついでに買ってきてくれた。とてもおいしい揚げドーナツでした。
ミシュランレストランで修行していたパティシエのお姉さんがやってるらしく、1口でその違いがわかる格別ドーナツでした。

スペインではカーニバルから聖週間までの7週間、このブニュエロbunyueloっていう揚げドーナツがケーキ屋さんやパン屋さんで売られます。
ブニュエロ祭りが行われる村があるくらい、各家庭やそれぞれのお店で秘伝のレシピがあるようです。


スペインはお菓子屋さん、パン屋さん、たっくさんあるんだけれど、大体バリエーションは同じで
結構同じ工場で作られたものをお店で焼いて
るだけのお店もあったりするので、
こんなふうにオリジナルレシピでこだわりのお菓子屋さんがあるとちょっとキュンキュンします。

週末にしかお店が開かない、とてもおしゃれなお菓子屋さんです。2年前くらいにオープンして
前を通った事はあったんだけれども週末しか空いてないとかどんなものを売ってる、とかそんな詳細は知らないままでした。

いつもと違うお菓子で考えたこと


さて、このお菓子屋さん、ぜひ他のお菓子も試してみたいなーと思っているところです。
そしていつでもお腹が空いている中2女子に食べさせてあげたいなぁと思ったり(だからといって私の分まで全部食べられるのは勘弁だけれど)
自称クロワッサン通の10歳の息子にも是非感想をお聞きしたい。

そこでふと思い出した。私が小さかった頃、母は時々仕事の買い出しや大きな街へお出かけをしたついでにおいしいお菓子を買ってきてくれることがありました。子供としては当たり前のような感じで、ただお菓子を楽しんでいただけでしたが、そんなお菓子のうちの1つ、ステラおばさんのクッキーは、未だに私の小さい頃の思い出として、とても心の奥に染み付いているもの。


“そうか。今は私がお母さんだからそういう思い出やきっかけを提供するのは私なんだ”

実は思っているより日常に潜んでいる親の役割


幸いステラおばさんのクッキーは、ロングセラーで、今でも各地にお店があっていつでも買えます。
この近所のお菓子屋さんが一体何年続くのかわからないけれど、もしかするとまたいつか別の場所で同じ味に出会って、うちの子供たちは、ふと懐かしさに身を委ねるのかもしれない。

ちなみに後日、このお菓子屋さんへ行ってみたらステラおばさんのクッキーにそっくりな薄っぺらいフィリングたっぷりのクッキーがありました。即買いです。
思い出マーケティング。笑


親の役目ってしつけをしたり、子供たちが自立するためのサポートをするって言うだけではなくて、こんなふうに思い出の種を蒔いていくのも大事な役目の1つ。

もしかすると、このお菓子がきっかけで、お菓子パティシエになったりするかもしれないし、こんな美味しいお菓子を誰かにプレゼントしようって思いつくかも知れないし

それはただお菓子を買うということだけではなくて、子供の人生の可能性を少し広げるっていうことにもなるのかもしれない。
ちょっと大げさだけど、物心ついてきた子供2人を見ていると
今この時期の日々の中で起こることって結構一生もんだなって思う。
なぜなら、自分がそうだから、小学校中学校の思い出、結構深く脳裏に染み付いている。
そしてそれが今の自分につながっていることを確認できる。
それを踏まえて、今、自分の子供たちを取り巻いている環境を考えたとき、正直、焦燥感というか危機感を感じることを否めません

多分、日本より広げづらいスペインでの可能性


本屋さんに行くだけで、いろんなカテゴリーの本や雑誌が山ほどある日本と違い、
ここスペインでは何かの趣味や興味に没頭すると言う道が常にどこにでも開かれているわけではありません。
今でこそYouTubeやSNSでいろんな情報が得られるけれども、実生活の中で手軽に目に飛び込んでくるという事はありません。
電車にあんなにたくさん釣り広告はないし
新聞に広告も入ってこない。趣味雑誌はマニアックな大人向け。少年ジャンプやりぼん、科学の友みたいな子供向け月刊誌なんて探さなければ見つからない。
そうすると、親が何を子供たちに見せるか提供するか、ただそれだけが唯一、世界への扉を開く鍵になります。
これって結構プレッシャー。

日本は友達と交換する漫画を読むだけでいろんな分野の知識がついたりします。
漫画から学んだことが何とたくさんあることか。
プロゴルファー猿を読まなかったら、ゴルフなんて私の人生に全く縁のないものでした。
おもちゃ屋さんに行けば、タミヤのプラモデルがずらりと並んでいる。
百貨店やショッピングセンターに行くだけで、手作りのアクセサリーや縫い物、編み物、その他手芸品、楽器、音楽、輸入食品、
とにかく各分野のものがどんどん目に入ってきます。
ただそれに、はっと興味を覚えればいいだけなんです。
でもスペインの商業システムは違います。
商店街や街に並ぶお店はほとんどが服飾店、コスメティックショップ、カフェ、何かの趣味や思考に精通したお店は自分から探して行くもの。

自分で探さなければ入ってこないということと
何もしなくても目に入ってくると言う世界の違い、
これはかなり子供たちのそして大人にも人生の可能性の違いに直結してくると思います。

親の知らないことを子供に見せるのは無理!


子供たちが小さい頃には時に学校をサボらせて 笑
バルセロナの市内の美術館に行ったり、クリスマス市場に赴いたり、
なるべく世界にあるたくさんのものを見せるように心がけてきました。
それは私の両親が私にしたことも同じで、私もそんなに大きな街に住んでいたわけでもないけれど、両親はいろんなことに興味があって、音楽や芸術いろんな分野で視野が広がるようなきっかけを作ってくれていたように思います。
旅先でもよく美術館や博物館に行ったりすることも多かったです。
そんななんとなく生きている生活スタイルが、子供の人生に反映する確率ってすごく高いと思う。

よく子は親の鏡と言われますが、まさにこういう意味でもその通り。
親が見ている世界を子供は自然と見ることになります。
親がそこを自覚して
心がけて、敢えて子供に見せるようにしていたら、彼らの世界観は変わる。
要するに、私にもっと知識や経験があれば
もっともっと面白い世界を見せてあげられるのです。


私は30歳で親になりました。遅くもなく早くもないという感じだろうけれど、子供を持つ前にそれなりにいろんなことを経験しておいて良かったなぁって思います。
そして今思うと、たくさんの時間を無駄なことに費やしたな。その間にたくさん学べることを見れる事はあったなと後悔がないわけではありません。
だからこそ今日この瞬間からなるべく自分の感受性をオープンにしてなるべくたくさんの事と物をキャッチしていきたいなぁって思います。

海外子育てだからこそ気づけた危機感。
自分の器がこの器を決めてしまう。


日本はマニアック王国。
今、価値観や趣向の違う、この国で子育てをしてみて改めて
日本と言う国に住むことで得られるチャンスが少し恋しくなったりします。
でももし日本にいて子育てをしていたら、
「私が見せなければ彼らは何も見られない」と言う危機感は生まれていなかったかも知れない。
ちょいと逆境な気分の子育ての中で焦りが生まれたからこそ、今こうして、子供達に見せるためにまず自分の人生や視野を豊かにしようと言う気持ちが湧き上がっています。

日本はすごい。
何事も突き詰めていく力がすごい。それを学校や社会が教えているところがまたすごい。
日本の子供の大半が折り紙、折ったことがあるでしょう?大半の子供が何かしら折れるよね。それがすごい。あんな細やかで、政策プロセスを体験できる作業を子供の頃から教えている国なんだから。
小学校の家庭科でミシンも教えちゃうんだもんね。調理実習とかやっちゃうんだもんね。
社会見学もいっぱいあるじゃん。
こちらの教育カリキュラムにそんな体験はまったく含まれていないので
じゃあそれ誰が教えるの?
家で教えるしかないじゃん。

悔しいので、笑
スペインで暮らすことによって得られる才能も頑張って探してみます。


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