鵜林伸也の読書遍歴⑩海外ミステリと新本格以前のミステリ
前稿で触れた、宇宙エレベーターを題材にした応募作について、少し。付け焼き刃ではあるもののSFを読み漁り、僕は「スレイプニルは漆黒を駆ける」という作品を書き上げ、鮎川哲也賞に応募しました。残念ながら落選とはなりましたが、それをきっかけに東京創元社の編集者の方に声を掛けていただき、アンソロジー『放課後探偵団』に収録された「ボールがない」で無事デビューすることができたのです。こうして僕は、有栖川有栖創作塾を卒業しました。
その編集者の方がまた非常に読書家で、様々な本を勧めていただきました。自分自身も、己の読書家としてのバックボーンの薄さは弱点として自覚していましたから、積極的に海外や、国内の新本格以前のミステリに手を伸ばします。というわけで、厳密には読んだ時期は前後するのですが、海外ミステリの大御所、および新本格以前のミステリについて、ここで触れていくこととしましょう。
クリスティでもっとも好きな作品はなにか。一番なんて決められない偉大な作家であるとお断りをしたうえで、それでも挙げるなら『鏡は横にひび割れて』です。動機の魅力が語られることが多い作品ですが、個人的には冒頭の謎が見事。それと鮮やかに結びついているからこそ、真相の魅力がより引き立っているように思います。
同じぐらい大好きでたまらないのが『春にして君を離れ』です。とてもミステリとは言えない、有閑マダムによる一人語りのみで成り立つ一作ですが、細やかでリアリティーのある伏線、推理もなにもないのにさりげなく読者に悟らせる真相など、使っているテクニックはミステリそのもの。ミステリの手法を十全に生かして書かれた非ミステリ。ミステリはここまでできるのか、と驚嘆しました。
ポワロ最後の事件にして最高の傑作『カーテン』や、晩年の集大成ともいえる『終わりなき夜に生まれつく』、ミス・マープルのカッコよさがたまらない『ポケットのライ麦』、クリスティらしからぬ不合理な短編集『謎のクィン氏』など、挙げだすと止まりませんので、このへんで。
クイーンといえばまず挙がるのは『Yの悲劇』ですが、個人的にはそこまで好きではありません。(これはどうしようもないことですが)翻訳では訳しきれない伏線があること、いわゆる「呪われた血」という設定が好きになれないことの二つが理由です。
国名シリーズなら『エジプト十字架の謎』でしょうか。国名シリーズらしからぬ(?)スリリングな展開、ロジックのキレが見事。
しかし、実は国名シリーズよりも好きなのがライツヴィルシリーズ。特に『災厄の町』と『十日間の不思議』は文句なしの傑作でしょう。アメリカ社会の縮図のようなライツヴィルの町の描写と、事件が起こりそうで起こらない不穏な雰囲気がたまりません。後期で言うなら『中途の家』も大好き。謎と解決がきれいに整った、クイーンの中でももっともとっつきやすい作品ではないでしょうか。
カーでまず挙げるのは『火刑法廷』です。いや、だってあのラストは忘れられないでしょう! カーらしいトリックと怪奇のベストミックス。理と怪のせめぎあいのギリギリを綱渡りした名作です。
カーらしくない名作として好きなのが『皇帝のカギ煙草入れ』です。おどろおどろしさも大掛かりなトリックもない、でもシンプルにこういうミステリも書ける人なんだな、と。
法廷ミステリとしても楽しい『ユダの鍵』、毒殺物の名作として名高い『緑のカプセルの謎』、遺産相続物の名品『曲がった蝶番』などを読んでいると、カーはトリックの人である以上に、ストーリーの人であろうと感じます。それもあって、「いやそのトリックはないやろ」と思ってしまう『三つの棺』はあまり評価が高くない(苦笑)
名品ぞろいのブラウン神父シリーズですが、その中から一作を挙げるなら「イズレイル・ガウの誉れ」でしょうか。チェスタトンらしい奇妙な雰囲気と、絶対に忘れないであろう美しい真相。まちがいなく逸品です。
チェスタトンでいえば『詩人と狂人たち』が大好きです。ミステリとしてどこまで整合性があるのか、そもそも自分はこの作品をきちんと読めているのか、という点を脇において、いや、とにかく好きなんですよこのめくるめく雰囲気が。読みにくいこの作品をゆっくり読んでいた幸福な時間は忘れがたいものがあります。
海外はこのあたりで区切りとして、国内へいきましょう。
新本格以前の作家として、ここまで触れてこなかった二つのビッグネームがあります。それは、泡坂妻夫と連城三紀彦です。
はじめて読んだ泡坂妻夫は、たしか『11枚のトランプ』ではなかったかと思います。その見事な構成には「やられた!」とうなりました。次の読んだのは、文句なしの傑作『乱れからくり』もちろんミステリとして大変素晴らしい作品なんですが、なんといっても冒頭の登場人物の死が、空から降ってきた隕石によるもの、というのがいいですよね! 徹底した「ここに作為はない」という証明であり、かつ、泡坂妻夫らしい稚気でもある。
『妖女のねむり』は、冒頭のささやかな伏線がラストで意外な形で活かされるのが「うまい!」の一言。個人的に好きな作品、として挙げるなら『湖底のまつり』でしょう。あのめくるめくような怪しさとミステリとしての絵解きは忘れられません。もっとも、湖に沈む村というモチーフが個人的にツボ、という理由もありますが。
亜愛一郎シリーズ、曾我佳城シリーズなど短編集に名品が多い泡坂妻夫ですが、やはり一番に挙げるべきは『煙の殺意』でしょう。素晴らしい短編ばかりの一冊ですが、個人的に印象に残っているのは「開橋式次第」です。いや、こんなにヘンテコで、なのに妙に説得力のあるミステリ、泡坂妻夫にしか書けませんよね?
連城三紀彦は、言わずとしれた短編の名手です。『戻り川心中』『変調二人羽織』『宵待草夜情』の三冊は「一生のうちにこんな作品が書けたら」と夢見るようなレベルの作品が、始めから終わりまで続くという奇跡のような短編集。もはやどれが好きなどと言える次元ではありませんが、それでもひとつ挙げるなら『変調二人羽織』の冒頭の美しい情景が見事な伏線として活かされるさまは鮮明に覚えています。
短編の名手として知られている反面、長編の代表作は、と言われると答えが割れます。知名度の高さでいえば『暗色コメディ』でしょうが、前半のめくるめくような展開が美しすぎるあまり、ミステリとして整理されてしまう後半がもったいなく見えてしまう、という贅沢な欠点があるように思います。
僕が挙げるなら、ベストは『黄昏のベルリン』です。連城三紀彦らしからぬ国際謀略物ですが、連城三紀彦らしい人間関係の描き方、連城三紀彦らしいトリックの一撃が見事。次点は『敗北への凱旋』暗号の美しさと、あまりにもスケールの大きな動機。よくもまあこれだけのものを思いついた、と感心します。
この年代(厳密にはもう少し前ですが)の作家として、小泉喜美子も大好きです。最初に読んだのはもちろん『弁護側の証人』でした。実は、かなり早い段階でネタを見抜いていて「もし真相がこれとちがえば自作にしよう」と思っていたのに、どんぴしゃ当たってしまいました。ただ特筆すべきは、真相が見抜けたにもかかわらずとてもおもしろかった、ということ。どの作品にも言えることですが、小泉喜美子にしか書けないオシャレな雰囲気がたまらなく好き。
『血の季節』ですとか、『月下の蘭』をはじめとする短編も好きなのですが、もはや僕は小泉喜美子の書いたものであればなんでも涎を垂らすパブロフの犬状態。最近、ちょこちょこと復刊されているのがありがたい限りです。
年代としては新本格と時期は変わらないのですが、多島斗志之についても触れておきたい。名作『症例A』はかなり以前に読んでいたのですが、そこで止まっていました。他の作品を読んで『症例A』は多島斗志之らしくない傑作なのか、と知ったのはだいぶ後になってから。
手に取ったのは『不思議島』でした。これがもう、めちゃくちゃおもしろかった。大好き。島を舞台としたもの、海洋ものがツボということもあって『二島縁起』『海上タクシー〈ガル3号〉』なども楽しく読みます。これらと同じく東京創元社から復刊された『白楼夢』もとてもおもしろくて、さすが東京創元社!ありがとう!と言いたくなります(ゴマをすっているわけではありませんよ? 念のため)
『海賊モア船長の憂鬱』も大好きですし、短編集『追憶列車』もよかった。本人は「短編は苦手」と語っていたそうですが「どこがだよ?!」と思います。
語りだせばキリがないので、このあたりでいったん締めます。
というわけで、「ボールがない」から『ネクスト・ギグ』に至る、いわば「第二の修業時代」に読んだ本を紹介してきたのですが、ひとつ、僕に多大なる影響を与えたジャンルを一つ、意図的に省いています。
それは、ハードボイルドです。というわけで次稿は、ハードボイルドのお話を。
《宣伝》『ネクスト・ギグ』創元推理文庫より、発売中!
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