鵜林伸也の読書遍歴⑫『ネクスト・ギグ』ができるまで

 長々と書いてきた読書遍歴も、いったんここで最終回となります。これまでの連載はマガジンにまとめてありますので、興味がある方はそちらをご参照ください。

 前稿で書いた通り、このころの僕はハードボイルドの影響を強く受けていました。いえ、『ネクスト・ギグ』がハードボイルドであるという気はさらさらありません。しかし、文庫化にあたって読み直してみたところ、随所に「ここはハードボイルドの影響だな」と感じる箇所がある。特に、第三章の最後のシーンなどは、ハードボイルドの下地がなければ絶対に書けなかった描写でしょう。また、意外と多くの方が「お気に入りのキャラだ」と挙げてくれるタナベも、ハードボイルドの影響があるように思います。
 さらに、以前に触れたとおり、犯人を特定するエレベーターのロジックは、有栖川有栖の影響を大きく受けています。今作において、もっとも「本格ミステリ」を感じさせる箇所でしょう。自分で書いた見取り図とにらめっこしながらこのアイデアを思いついたときの手応えは忘れられません。
 ミステリらしい、ということで言うなら、冒頭の「カリスマギタリストはなぜ簡単なピッキングミスをしたのか」という謎は、実はプロットを組み立て始めた段階では存在しませんでした。しかし、クリスティの『鏡は横にひび割れて』のような謎が冒頭にあればより魅力的になるのではないか、という考えから、この謎が生まれました。
 音楽小説、という点では、ロックとミステリを描いた傑作、津原泰水の『クロニクル・アラウンド・ザ・クロック』や、ジャズとミステリの美しい結婚である、田中啓文『落下する緑』『辛い飴』などの永見緋太郎シリーズには大いに刺激を受けました。それから、音楽小説というわけではありませんが、この稿でも触れたように、伊坂幸太郎『フィッシュストーリー』に登場するバンドマンのセリフは、『ネクスト・ギグ』の根底にあったものであると思います。

 長々と自分の読書遍歴を晒してきましたが、結局言いたいことは、これです。
 人は、自分が読んだもの、インプットしたものの影響でしか、新しいものを生み出せません。
 それは別に、コピーということではありません。完全なる無からは、なにも生み出せない。自分の中にあるものの組み合わせでオリジナルは生まれる、ということです。
 僕は今まで、ここに書いてきたような本を読んできました。その結果、『ネクスト・ギグ』という作品を生み出すことができた。このうちのなにかが欠けていたら、作品の形は変わったことでしょう。あるいは、つい先日、芦原すなお『デンデケ・アンコール』を読んだのですが、この作品を先に読んでいればまた少し『ネクスト・ギグ』の形は変わっていたかもしれない、とも思います(2021年刊行なので物理的に無理なのですが)。
 それは、書く側だけでなく読む側にも言えることでしょう。鑑賞という点において、上記の本を読んだうえで『ネクスト・ギグ』を読むのと、読まないうちに『ネクスト・ギグ』を読むのでは、読み取れる情報量がきっとちがうはずだからです。
 別に、たくさん読書をしたうえでないと正しい読書はできない、などということが言いたいわけではありません。誰だって最初は、初心者ですからね。
 言いたいことは、ひとつだけ。書く側も読む側も、より多くの本を読み、より多くの経験を積むほうが、生み出すものも受け取るものもより豊かになるはず。
 こうして通して書いたことでご理解いただけるでしょうが、僕はまだまだ読書のバックボーンが貧弱です。読めていない本はたくさんあります。まだまだ読まねばなりません。もっとインプットせねばなりません。
 これからよい作品を生み出していくために、これからもいろいろな本を読んでいこうと思います。

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