鵜林伸也の読書遍歴⑨SFとの出会い

 さて、ここで少し時間を前に戻します。前稿のとおり初めて鮎川哲也賞にて一次選考すら通過せず落ちてしまった僕は、思います。腹を括って勝負せねばならん、と。
 ひとつ、長年温めていたとっておきのアイデアがありました。それが、近未来を舞台とした、宇宙エレベーターをクローズド・サークルとしたミステリ、でした。
 今までそれを書かなかった理由はなにか。それはたったひとつ「SFというものをほとんど読んだことがなかったから」です。ここまで書いてきたようにわりと読む本のジャンルには拘らないほうですが、なぜかSFとハードボイルドは「自分には合わないかな」と敬遠していました。
 SFを知らない人間に、SFミステリが書けるはずもありません。しかし、それを理由に出し惜しみしている場合ではない。腹を括って、手持ちの中で一番いいと思えるアイデアで勝負しよう、と。
 落選を知ったのは、二〇〇九年一月でした。そこから半年間、ひたすらSFやSFミステリを濫読し、SFの知識を蓄え、残り三ヶ月で長編を書き上げて十月末日の鮎川哲也賞に送ろう、と考えました。
 今から思えば、無謀な行動です。しかし僕はそれを実行に移しました。ただそこには、思いもかけない別の効用がありました。
 それは「自分には合わない」と思っていたSFが、めちゃくちゃおもしろかったこと、です。
 というわけでこの稿では、このころ読んだSFについて語っていくこととしましょう(ようやく読書遍歴らしくなりました)。

 はじめに読んだ作品はなにか。それはもちろん宇宙エレベーターを題材とした名作SF、アーサー・C・クラークの『楽園の泉』でした。これがもう――めちゃくちゃにおもしろかったんですよ! いや、なんで今まで食わず嫌いでSF読んでこなかったの?!と激しく後悔するほど。
 『楽園の泉』は、実在のスリランカの位置を赤道直下まで移して、そこに宇宙エレベーターを建設するまでを描いたハードSFです。それは、SF版プロジェクトXとでも言いたくなるような読み心地。描かれる情景も美しく、ラストも見事。SFとはこういうことができるジャンルなのか、と目を見開かされます。クラークでいえばもちろん『二〇〇一年宇宙の旅』も読みましたが、個人的には『地球幼年期の終わり』のほうが楽しかった。
 続いて読んだのは、SFミステリの名作として名高いアイザック・アシモフの『鋼鉄都市』に始まるイライジャ・ベイリのシリーズ。これまたおもしろかった。短編集『われはロボット』『ロボットの時代』もいい。
 三大SF作家の残る一人、ロバート・A・ハインラインの『夏の扉』は、なるほどこれはベストSFに挙げられるはずだ、と納得の傑作。サイエンス・フィクションとしてのおもしろさと青春小説の味わいの融合はまさしく不朽の名作と言えるでしょう。しかしそれと同じぐらい好きなのが『月は無慈悲な夜の女王』です。SFらしいアイデアを活かした月世界の住民が起こした地球への反乱は、『ぼくらの七日間戦争』に通じるような楽しさがありました。
 SFミステリの傑作、ということなら、これを外すわけにはいきません。ミステリ史上に残る魅力的な謎をそなえた、J・P・ホーガン『星を継ぐもの』です。ええ、僕は天文畑の人間ですから、この真相がありえないことは重々承知しています。しかし、それでもなお「ありえるのかも」と思わせる豪腕。そしてなにより、キャラがいいですよね! 敵役?ともいえるダンチェッカー教授の魅力的なことと言ったら。学者たるものかくあるべし、とさえ思います。
 時代を一気に後代へ飛ばし、SFミステリの卓抜した書き手といえば、ロバート・J・ソウヤーでしょう。『ゴールデン・フリース』の素晴らしさには諸手を挙げて降参をしたうえで、自分は『イリーガル・エイリアン』のほうが好き。だって、ファーストコンタクトとして地球にやってきた異星人が地球人を殺してしまい、その裁判の模様を描いたリーガルミステリ、って設定、魅力的過ぎるでしょう! ラストで明かされる物語の大きさも、SFとして不足なし。SFだからと敬遠しているミステリ好きがいれば「今すぐ読んでくれ」と躊躇なく推薦できます。
 ミステリを離れて純粋なSFで言うならレイ・ブラッドベリ『火星年代記』は忘れがたい傑作です。火星での生活を描いた緩やかなつながりを持つ各編の雰囲気が素晴らしい。これは決して有名な作品ではありませんが、ロバート・F・フォワードの『竜の卵』は、どこをどう切っても「SF」としか言いようのない作品で、ある意味この作品を楽しめるか否かがSFを楽しめるかどうかの判定機になるのでは、なんて思います。だって、超重力の中性子星で誕生した生命が超重力ゆえに地べたを這うようにしながらも進化していく様を描くだけの物語を、SFファン以外の誰が楽しめるのか。しかし、最後まで読めば「そう来たか!」と手を叩くことまちがいなしのネタが控えていることはお約束しましょう。

 続いて、国産SFについて触れることにしましょう。こちらは海外とちがい、野尻抱介、林譲治、小林泰三、小川一水といった現代のハードSF作家を中心に読んでいきます。
 野尻抱介は『太陽の簒奪者』『ロケットガール』シリーズも楽しく読みましたが、なんといっても『沈黙のフライバイ』でしょう。極めて現実的な、かつタイトル通り静かなファーストコンタクトを描いた表題作も好きですが、『大風呂敷と蜘蛛の糸』も素晴らしい。野尻抱介らしいまったりした描かれ方ではありますが、『楽園の泉』に通じるプロジェクトX感があります。
 林譲治は『ウロボロスの波動』に始まるAADDシリーズを読みました。こちらも独特な形のファーストコンタクトを描いた傑作ハードSFですが、個人的ベストは『ウロボロスの波動』に収録された『ヒドラ氷穴』です。これは、ミステリとしても楽しめる作品でした。
 『天体の回転について』が宇宙エレベーターを描いた作品だということで手を伸ばした小林泰三ですが、その最高傑作といえば『海を見る人』でしょう。あのラストの切なさは、一生忘れません。それが、サイエンス・フィクションとしての魅力を十全に活かしたものであるから、余計に。ベストSF短編はなにか、と問われれば、僕は迷わず『海を見る人』を挙げるでしょう。
 小川一水でもっとも好きな一冊を挙げるなら『老ヴォールの惑星』です。表題作『老ヴォールの惑星』は、もし木星のようなガス惑星に生命が存在するなら、という仮想のもとに書かれた作品で、『竜の卵』と同じく「どこをどう切ってもSF」の短編版とも言えます。そしてまた巻末の『漂った男』があまりにも見事。星新一的なアイデアを短編に膨らませたうえで、その膨らみの部分がオチの感動に見事に結びついています。こちらは、SFの下敷きがない人でも楽しめる傑作でしょう。
 また、菅浩江『永遠の森 博物館惑星』を読んだのもこのときです。ここまで紹介してきたハードSFに比べるなら、近未来の博物館で働く学芸員たちを描くこの作品は、ロマンチックでさえあります。しかし、なによりその「ロマン」が素晴らしい。そしてそのロマンが「SF」と分かちがたく結びついているのが、なお素晴らしい。
 少し時代をさかのぼって、広瀬正『マイナス・ゼロ』、堀晃『太陽風交点』を読んだのもこのころです。
 また、個人的にひとつ持論があって、海外にはアシモフやホーガン、ソウヤーなど「SFミステリ」の書き手が多数存在する一方、国内にはぱっと思いつく人、及び作品がなかなかありません。いずれも、SFかミステリかいずれかに寄ってしまいます。そういう中で「SFとミステリがちょうど半分ずつ描かれている傑作だ」と僕が思っているのが、三雲岳斗『M.G.H.楽園の鏡像』です。ミステリらしい謎をSFらしい手法で解いてみせた、SFミステリの傑作と言えるでしょう。

 さて、ここまで自分が読んだSFについて触れてきましたが、SF――正確には、海外SFを読んだことで、さらに意外な効用が自分に現れました。
 それは、翻訳物を読むのに抵抗がなくなったこと、です。
 これは「黄金の羊毛亭」というサイトに書いてあったことの受け売りですが、やはり日本人にとって、海外の文化を下敷きにした翻訳物は読みにくい。しかし、案外と翻訳SFは読めてしまう。それは、SFの世界は母国の読者にとっても「異世界」であるため、誰にでもその世界観が分かるように書いてあるからだ、と。
 その論は、まったく正しいでしょう。そして僕は、こうして海外SFを一気に読破したことで、以前感じていた「翻訳物へのとっつきにくさ」が薄れていると気づいたのです。
 というわけで次稿は、海外ミステリを中心とした話となります。

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