鵜林伸也の読書遍歴⑧有栖川有栖創作塾のこと

 読書遍歴、で始めたはずのこの連載ですが、いよいよそのお題から外れていきます(苦笑)
 有栖川有栖創作塾は、2007年4月から開校した、有栖川有栖氏が塾長を務める創作講座です。おおよそ三ヶ月間、二週間に一度の計六回を一セットとした講座で、現在はなんと第四十六期が開講中。年三回×十五年ですからそういう数字になるわけですが、実に凄いことです(それは、これから書く内容を読んでいただければ、よりそう思っていただけることでしょう)。なお、ここから敬称をどうするか悩むのですが、実際にお呼びさせていただいている通り「有栖川さん」で統一することとしましょう。
 僕が創作塾に初めて参加したのは、第三期です。第一期、第二期の先輩たちがいたので「後輩だなあ」と思っていたのですが、四十六回も続いた中でいうと、めちゃくちゃ初期のメンバーですね(笑)
 前回の稿の通り、ウィキペディアにて「有栖川有栖創作塾」の文字を見つけた僕は、早速検索をします。有栖川さんは大阪在住ですから、当然場所は大阪。自分も大阪在住です。自分を本格ミステリの世界に引き込んだ当の有栖川有栖に本当に指導してもらえるなんてそんな美味い話があるのか、と半信半疑になって申し込みます。正直に言うと――その半信半疑の気持ちは、創作塾で実際に有栖川さんの顔を見るまで続きました。
(うわっ! 本当に有栖川有栖がいる!)
 作家のサイン会等に参加したことのなかった僕にとって、初めて目前に見る「本物の小説家」です。きっと周りからはそう見えていなかったでしょうが、自己紹介も、めちゃくちゃ緊張したのをよく覚えています。
 さて、創作塾講座ではどんなことをするのか。僕は「きっとミステリ好きの人ばかりなのだろう」「ミステリや創作についての講義が中心なんだろうな」と思っていました。しかしその予想は大きく外れます。
 まず(少なくとも当時は)ミステリ好きの割合はそこまで多くありませんでした。もちろん、有栖川有栖が好きな人ばかりでしたが、ファンタジーや純文学よりの人も多くいて、そういう方々の要望にも有栖川さんは応えてらっしゃいました。ミステリに限らないその読書量、知識の幅広さに驚いたものです。
 次に、講義が中心、という予測が裏切られたのですが、では代わりになにをするのか。
 それは「合評」でした。
 全六回で、特に統一したテーマ等は設けません。とにかく、合評。生徒は毎回、塾に自分の作品を送り、その作品を有栖川さんを含む全員が読み、意見や感想を述べていく。もちろん、今日はこういうテーマで話しましょう、というときもありましたが、それでも合評は必ずやっていました。しかも、先述のとおり、ジャンルはミステリに限りません。その全てを有栖川さんは読み、意見を述べてくれたのです。
 それがどれだけ大変なことかは、言うまでもありません。毎回、授業後にコピーされた全員分の原稿を受け取るのですが、十人程度の塾生の原稿が集まるので「げっ、今日も分厚いなあ」と思ったものです。それを、二週間に一度、繰り返す。正直、現役の売れっ子作家がやる仕事量とは思えません。それだけ有栖川さんが、後進の育成に熱心だった、ということです。言うまでもないことですが、その背景には、有栖川さん自身が鮎川哲也氏に引き立てられた、という思いがあるからでしょう。かといって、なかなかここまでできるものではない。その行動には、敬意しか覚えません(流石に今はそのペースは苦しく、合評は二回に一回に改められたようです)。
 創作塾で得たものは数多くあります。いろいろなことを教わり、様々な刺激を得ました。しかし、もっとも得たものはなにかといえば、モチベーション、かもしれません。
「あの有栖川有栖が、僕らのためにこれだけのことをしてくれている」
 そりゃあなんとしてもその恩に報い、良いものを書き、デビューしなければならないではありませんか。

 僕は、創作塾のメインが合評であると知り「よーし」と張り切って、毎回新作のミステリを用意しました。せっかく読んでいただけるのですから、頑張って書こう、と。
 初めて参加した創作塾で「次回の合評のための作品は一週間後までに提出してください」と言われました。提出は強制ではない、とも。しかし、そこで書かないという選択肢はありません。一週間で三十枚ほどのミステリ短編を仕上げて提出しました。『シークヮーサー・センチメンタル』というタイトルで、古本屋の軒先にレモンならぬシークヮーサーが置かれている、という日常の謎ものです。一週間で書き上げた新作だ、と言ったら、驚かれましたっけ。
 続いて書いたのが、前からアイデアを温めていたプラネタリウムを使ったダイイング・メッセージもの。次に方向性をガラッと変えてノンミステリを書いてみたのですが、これは不評。続いて、高校の漫画研究会を舞台としたもの。「ホットコーヒーの伏線がいい」と褒めていただいたことは忘れられません。そして最後は、不遜にも、有栖川さんを被害者とし、塾のメンバーを容疑者としたパロディのフーダニット。それも有栖川さんは笑って楽しんでくださいました。
 有栖川さんは、とにかく「褒めるのが上手い」人でした。厳しい言葉は滅多におっしゃいません。作品の美点を見つけ出し「もっとこうすればよくなる」と指摘してくださいます。口調も常にお優しく、それもあって空気は非常に和やかで、塾生の多くは何回も何回も継続し参加していたものです。
 また、合評がメインではありましたが「今日のテーマはこれ」と定めて、漢字にするかカナにするかという細かな文章作法から、プロットの立て方や転がし方などを講義されることもありました。その当時は「へえ」と思っていましたが、プロになった今にして思うと、めちゃくちゃ有意義な授業だったな、と思います。
 僕が創作塾に参加したのは、三期と四期、七期の計三回です。三回しか参加していなかった、と書くと「あれ、それだけ?」と自分でも思ってしまうのですが、それはおそらく、メンバーとして参加していないときも、ちょくちょく打ち上げの飲み会には顔を出していたからでしょう。そう、各期に二回ずつ有栖川さんを囲んで行われる飲み会も、非常に贅沢な時間でした。
 四期では僕は、合評の作品を提出しませんでした。というのも、鮎川哲也賞の締切が迫っており、長編の執筆に集中していたからです。しかし、そうまでして書いたのに、鮎川哲也賞の結果は、これまでで初めて一次すら通らない、というものでした。目論見としては、いい結果を出して「先生ありがとうございます!」と告げ、塾を卒業するつもりだったのに。というわけで、しばらく間をあけて、七期も参加をします。
 次の鮎川哲也賞へ、僕はSFミステリで応募するつもりでした。そこで、合評に提出する作品は、その練習のためにSFミステリを書こうと考えたのです。そして、その最終回に僕は、有栖川有栖創作塾卒業制作のようなつもりで、これまでで一番の、一〇〇枚もの長さの作品を二週間で書き上げて提出したのです。
 それが、宇宙エレベーターで起こるテロを題材とした『テロリストの蜘蛛の糸』でした。この稿を書くために少し読み返してみたのですが、いやあ、拙い。しかし「やってやるぜ!」という熱にはとても溢れています。福井晴敏風を意識して書いたところ「福井晴敏さんに教えたら喜んで書きそうな話だ」と見抜いてくださったのはうれしかった(ええ、ただの自慢です)。

 そして結局、塾生として有栖川有栖創作塾に参加するのは、それで最後になりました。もちろん、その後も先述のようにOBとして飲み会にはちょくちょく参加していましたが。
 ここまで書いてきてお分かりいただけた通り、有栖川有栖創作塾は、とてつもなく贅沢な空間です。小説家を目指す人間なら、誰にとっても得るものばかりの講義です。そういうことをなぜ今まで書かなかったかというと、めちゃくちゃ有意義なものであると知れ渡ってしまうと、塾生が殺到し、有栖川さんのご負担が大きく増えてしまうから。しかし今、やはり創作塾は人気となり、人数を限定しています。であれば、どれだけ人気が上がっても受講生そのものは増えないので、問題ないでしょう。もっとも、倍率が上がってしまう、という点から現役の受講生からは恨まれそうですが(笑)
 僕が知る限り、塾生の立場から、有栖川有栖創作塾の内側を書いた文章は知りません。誰かがきちんと書き残しておくべきであると思います。わずか三期しか参加していない僕がその任なのか、という気もしないではありません。しかし、有栖川さんと同じく東京創元社からデビューした人間が、その作品の解説を書いてもらうという今が、そういう文章を書く絶好のタイミングではないか、とも思います(というか、これを読んでいる現役、及び元塾生の方も、書いてね)。
 そんなわけで、読書遍歴の話から脱線して、有栖川有栖創作塾の話を書いたのでした。

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