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目にも見えない、測れもしないものをどうやって貯めるんだろう。

どうもこんばんは、ゆうぞうです。
なんだか今年はあっという間に過ぎたな、、と感じる年の瀬。
そんな2023年も終わろうとしている中、わたくし新たな沼に足を取られました。
もうすでに観た人も少なくないと思いますが、
映画「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」
話題になっとるし~、と軽い気持ちで観に行ったら沼。
ズブズブとハマっていって、気がついたら1週間で4回の観賞。
いやはやびっくりびっくり。
観る度に新しいことに気がついたり、もしかしてこれはもしかするのか?という考察が深まったりと常に新鮮で、
舞台挨拶レポを読んで裏設定を入手したとなれば、その色眼鏡をかけて観賞したくて仕事終わりに映画館へ通う日々です。


※以降はネタバレってほどじゃないかもしれませんが、作中のセリフを引用しています。

まあそんなどっぷりハマっているゲゲゲの謎の、
「(70年経った)今もなお、皆心貧しく、苦しんでおる。」
というセリフ(うろ覚え)がずっとわたしの中に居座ってどいてくれんくて。
事あるごとに思い出してしまいます。

「心貧しく」って難しい、状態を表してるから改善も改悪もするんだろうけど、
何をしたら何を得たら心貧しくなくなるんかな。

ググってみたところによれば、心が貧しいというのはこんな意味らしいんですが、うーん。
「裕福そうに見えても心は貧乏人のそれ」
比喩を比喩で説明されたかのような気持ち。
となれば、貧しいの対義語は「豊か/裕福」などなので試しに「心豊か」を調べてみるとこう。

色々と書いてありますが、
「相手の立場を考慮できる思いやりの心」
なんかちょっとこのフレーズはどきりとするなあ。
わたしはどちらかと言えば根暗に属するので、「1人反省会」をすることも少なくないんですが、
その多くが誰かに言った言葉や態度に対することなんですよね。

つい先日も、時間が無くて焦っていたので
「ごめん、ちょっと急いどるけんあとで!」
と友人の話を遮っちゃったんですが、
「ごめん、今時間とれんけんあとで電話していい?」
とか
「ごめん、ちょっと急いどるけん明日話そ。」
とか言えばよかったなあと猛省しました。
時間がないという焦燥感に駆られて、自分の言いたいことを端的に伝えるだけになってたんですよ。

そう考えると、世の中のいざこざの全部やないけど、多くが「焦り」から周りが見えなくなって生じることなのかなあなんて。
たとえば、誰かのものを横取りしたり奪ったりすることだって、
落ち着いて考えれば自分にはそんな権利なんて無いし、それで傷つく人がいるのは分かるのに。
それでもその何かを持っていないという焦燥感(ステータスなのか力を誇示したいのかは知らんけど)、が自分以外の誰かっていう判断軸を霞ませてしまうんだと思います。

奪われた側も「奪われてしまった、取り返さなければ。」という喪失感や怒りからくる焦燥に駆られて応戦したり、他から奪ったりしてしまう。
結局焦燥の渦がどんどん広がって飲まれていくんでしょうね。

そんな環境には身を置きたくないなあ。
でもいつその渦が自分のところまで広がってくるのか分からないし、
なんなら今既にその渦中にいるのかももしれません。
焦燥感に駆られて、それを紛らすために他者を軽んじて、人も組織も国も苦しんでいるのかなあ。

「焦燥感」とか「満足感」とか目に見えないし、測る値すらないのにどうやってそこから抜け出せばいいんだろう。
確かに笑っていたのにどうして「足りない」と感じるんだろう。

「心貧しさ」を豊かにするには何があるといいんでしょうね。

WDRACのアドベントカレンダーを機に日常のもやもやを文字にしました。
他のメンバーの日も覗いてみてくださいな。
https://adventar.org/calendars/9219


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