今、この瞬間も描いている。
毎朝、少し早起きをして朝散歩をしよう。
そう思い立って散歩した次の日から2日間連続で寝坊して、実質2回目の朝散歩をしました。危うく一日坊主になるところでした。朝は少し苦手です。
やっぱり散歩はいいですね。今の自分が、どんな物に目を留めるのか、風や空や草花や人に何を感じるのか、客観的に自分を確かめられる気がします。
少し前に、詩太の創作のテーマを「穏やかな時間」と掲げました。
“自分の作品で人の支えになりたい”“背中を押したい”と思いながら作品(特に詩)を書いていた数年前とは少し気持ちが変わってきたからです。
もうすでにみんな毎日一生懸命生きてるじゃないですか。例えが正しいかは分からないけど、一生懸命生きてふらふらになってる人の肩を支えて立たせ続けるのかとか、さらに背中を押して歩かせるのかとか…それよりも座って一休みできる柔らかい椅子の方が必要なんじゃないかな?って思ったんですよね。
だから僕は今、支えるでもなく背中を押すでもなく、ぎゅうぎゅうに詰まった日々の隙間で、人が心穏やかになれる時間を作りたいと思っています。作品や個展を通して。
だからこそ最近は、作品を生み出す僕自身の心が常に穏やかであるように意識して生活をしています。自分が描きたいと思う構図やその時選ぶ色や筆一つとっても、きっとその瞬間の自分の心境が決めてると思うから。
「ハイキュー‼︎」という漫画のワンシーンで好きなセリフがあって。
試合中に体調不良で途中退場を余儀なくされた主人公に監督が「今この瞬間もバレーボールだ」と伝えるんですよね。(この前後のストーリーがあっての一言なのですが、語ると長くなっちゃうのでぜひ読んでみてほしいです。ハイキュー‼︎に何度泣かされたことか。笑)
僕は、このセリフを自分に置き換えて、
…って感じに受け止めました。
そう考えると、
散歩するのも
ドライブするのも
人と会うのも
会わないのも
家族や子どもと過ごすのも
美術館にいくのも
音楽を聴くのも
漫画を読むのも
ゲームをするのも
テレビと少し距離を置くのも
昼寝するのも
自分の心を穏やかに保つ為、
自分の生活すべてが作品作りの一環なんですよね。
(のんびり過ごす言い訳ではない…です。たぶん、本当に。)
昔の弱かった自分は、時々、自分自身の悲しみや苦しみを作品の中に滲ませてしまうことがあったけど、今は、苦しみの中から搾り出すように描くのではなく、穏やかな心の中から溢れ出すように包み込むように絵を描きたいなと思っています。
朝の散歩をしてたら、この気持ちをちゃんと言葉にして書いておきたくなったので久々にnoteに書きました。ではでは、素敵な週末をお過ごしくださいね^^
朝の散歩とコーンポタージュは最強の組み合わせです。明日も早起きできるかな。
ありがとうございます! もっともっともっともっと頑張ります!!!