悪魔のグルメ3
2020/10/28現在、カクヨムにて無料で読むことが出来ます。
小説家になろうで消されてしまったので、修正版を執筆中です。
それでもいいという方のみご購入ください。
クラス替えの後やアルバイトの面接なんかで知らない椅子に座る機会は誰にでもあると思うのだけれど、どれも居心地が悪いものだということには同意してもらえるだろう。
探偵稼業なんてものをやっているとその機会ってやつが、人よりも多くなる。中でも、今座っている椅子は値段だけで言うなら過去最高だったけれど、座り心地は最悪だった。
「人は勝ち続けることが出来ない」
血が滴るような肉をキコキコと切り分けながら、灰川は言った。その左手には完全な形の六本目の指があり、小指側に近い薬指には飾り気のない銀色の指輪がはまっている。
周囲の調度品はどれもマットな質感と重厚さで、控えめながら、だからこその高級感を主張している。この空間にある人や物のにおい、音などは完全に抑制され、管理下にあるように感じる。事実、ここの壁を隔てた向こうが海だなんて、ちっとも想像出来ない。
男装の探偵、灰川真澄。不自然なまでに黒々とした髪に、黒曜石の瞳は炯々と好奇心の光を放っている。タキシードは体格が良い人間の方が似合うものだが、灰川はタイトにそれを着こなしていた。ネクタイは結び目が細い。
隣に座る僕が着ているのは普段の学校の制服で、手持ちの中では一番高いし冠婚葬祭にも使えるはずなのだけれど、どうにもみすぼらしい感は否めない。
ステーキだけではなく、その他にも大量の料理が給仕によって入れ代わり立ち代わり運ばれては、僕たちの目を楽しませる。もっとも、食べたことのない高級なものばかり(灰川曰く、貧乏人にもわかりやすいように金をかけた、せこい料理)で味まで楽しむ余裕は僕にはないのだが。
「少しでも真面目に生きていれば、誰でも気付くことです。何であれ、自分より上手く出来る人間がいる。学校のマラソン大会で優勝しても、オリンピックには出られないし、チーターより速く走ることは出来ない」
「それは灰川君、キミであってもかね?」
対面に座ったこの食事会のホスト――仕立ての良いスーツを装甲のように着こなす男。くすんだ金髪をクルーカットに刈り上げ、自分の頑強さを押し出すことに慣れた態度。軍隊上がりだろうか、と見当をつける。
灰川はフッとかすかに笑った。
「生き物はすべて、生まれたならいつか死ぬ。それは僕とて逃れられない、当然の理ですよ」
どうしようもなく傲慢な態度だが、僕には灰川が事実を言っているつもりだというのがわかる。ひょっとしたら、謙遜している気でいるのかもしれない。どっちにしても、彼女(あるいは彼?)の平常運転である。
「それが致命的なものになり得るかは人によりけりとしても、誰でもいつかは負けるものです」
「随分と悲観的な考え方だね。少なくとも今夜のキミは勝利者だ」
男は大げさに手を打ち鳴らした。もちろん皮肉のつもりなのだろうが、灰川はこたえた様子もない。
「由良君、これをあげよう。食べるといい」
こっちに話を振るなよ。喋らないようにしてたんだから。
灰川はトマト以外何でも食べられるが、選り好み出来る時はメチャクチャにこだわる口だ。グルメと言っていいだろう。かといって、食べ物を捨てることをよしとするわけでもないので、灰川が食べないものは僕の皿に回ってくることになる。
「トマトはナス科だから、悪の親玉であるナスは君にあげよう。美味しいよ」
「……そう思うなら自分で食べろよ」
「鳥のもも肉もあげよう。僕はパリパリにローストされた皮だけで充分だ」
「聞けって」
食べるけどさ。
僕たちがいるのは大海のど真ん中、超弩級豪華客船アデライードだ。
豪華客船というのは乗るだけでも大変なお金が必要で、その中には船内の様々なサービスを受ける分まで込みなので、食事に関しては一々財布を取り出す必要はない。もちろん、例外もある。
たとえば、カジノだ。もっと言うと、今僕が気まずく尻を乗せている椅子の在処は、その奥にあるスタッフルームである。
いつだってそうなのだけれど、僕の相棒の灰川は探偵で、探偵であるからには傲慢で自分勝手で気まぐれで社会性が皆無で性格が破綻していて人の気持ちが全然わからなくて、取り返しのつかないことを勝手に進めてしまう。その上、僕は探偵助手で、探偵助手であるからには小心者で主体性がなくて人生には何が大切なのかまったく理解していなくて、探偵の言いなりになって動くしかないのだ。
灰川と僕は、虫々院蟲々居士の痕跡を追っている。灰川にとっても僕にとっても奴は敵であり、その手は世界中のどこにでも伸びている。虫々院は組織であって組織ではないのだが、説明は難しいのでここでは割愛する。ともかく、奴の手先を減らすために地球全土を飛び回らなくてはならないのだが、その過程で「豪華客船による世界一周旅行に行くぞ」と言い出した灰川に対して僕は、(パスポートを取らなきゃなあ……)とぼんやり思っただけだった。それはもう決まったことだったからである。
カジノに入った時、僕は自分に運がないのを知っているから(灰川に目を付けられた時点で、誰もこのことを疑わないだろう)、灰川の後ろについて回るだけだった。煌びやかさと妖しさが混交し、どんどんとエスカレートしていく欲望にあてられてクラクラしていたせいで、灰川の手元にあるチップが一人では持ち運べないほどの山になるまで気が付かなかった。僕は馬鹿だ。
勝ちすぎた灰川の元に、カジノの支配人とスタッフが来て遠回しに帰るように言ってきたが、灰川は換金すると譲らなかった。仕方ないのでとりあえず(何がとりあえずなのかわからないが、大人の世界ではよくあることらしい)、食事をしつつ話すことになった。その間、僕はずっとただ流されているだけだった。
「勝ち方にも色々あります。例えば、鉄火場で小銭を稼いだところでそれを五体満足で持ち帰れるかは、また別の話だ」
「おやおや、物騒な話ですな」
男が言った。内容とは裏腹に、嘲弄の気配が滲む言葉。背後からも追従の声が上がった。
「人は皆、緩やかに失墜しているのです。遅いか速いかの違い――もっとも、僕にとってそれが今日のつもりではありませんが」
灰川が何か言っていたが、僕はほとんど聞いていなかった。
男の後ろに二人、窓側に一人、僕たちの背後のドアに二人、黒服のスタッフがいる。高級なお仕着せに身を包んではいるが、荒事の予感に緊張する肉体も、懐にある拳銃もまるで隠せていない。
僕の指がカタカタと震え出したのを見て、対面の男が笑みを深めた。恐怖をパッケージして売りさばく売人の態度。僕のような人間はきっと上客なのだろう。
今更言葉にするまでもないが、カジノで荒稼ぎした灰川を、彼らは脅しているのだ。場合によっては、生かして帰す気などないのかも。僕はそこに紛れ込んだおまけに過ぎない。
豪華客船なんてものを動かすのにどれだけの金がかけられているのか僕にはわからないが、短時間で灰川はそれをも揺るがす額に手をかけたらしい。具体的な数字は聞きたくない。
現代の文明の極致とも言える最先端の娯楽の場でも、一皮剥けばこのような、暴力が支配する原始の荒野が広がっているのかと思うと、僕は酷く寒々しい気持ちになった。
「さて」
ナプキンで口元をぬぐうと、灰川は立ち上がった。あまりにも自然な動作だったので、誰もそれを止めようとしなかった。
「ごちそうになりました。あとはそこにいる彼に、話を通してください」
周囲の視線が僕に集まった。
「それでは」
由良君、たっぷり食えよ――そう言うと、灰川は当然のように部屋を出て行った。
ぽかんとした表情の黒服たちが自分の失態を悟り、二人、灰川を追った。
残った男たちが僕を見た。
すぐに追いついて失点を取り戻すつもりだろうが、それだけでは彼らの気が収まらないのだろう。嗜虐への期待が肉の内側でふくれ上がり、部屋の温度がわずかに上がったような気がした。
「彼女はああ言っていたようだが?」
「はい。僕が承ります」
こう言うしかないじゃないか。
皿の上のブロッコリーをつつき、転がして、気乗りしないまま口にした。ドレッシングの味が好みではなかったが、数度噛んでそのまま飲み込んだ。僕にはそれが可能だった。だから、した。残すことも出来たが、そうはしなかった。
「そうか。なら言うが、灰川君が稼いだ額はこちらの許容を超えている。だから程々で手打ちにしようという大人の提案をしたつもりだったのだが、残念ながら彼女にはわからなかったようだね」
「はい。結局のところ、僕たちはまだ高校生ですから」
これは僕の本音だ。ちょっと人と違ったところがあったって、僕たちはまだティーンエージャーで、知らないことがたくさんあって、これからもたくさんの間違いを犯していくのだ。そこのところをみんな、勘違いしているように思う。
「若さは関係ないんだ。受けてもらえないとなると、こちらも少し手荒な真似をせざるを得ないということだ」
「カジノのルールからしても、法の観点からしても、灰川がしたことは何の問題もないのに?」
「大事なのは表向きの言葉じゃない。誰も本当にそんなもの気にしてはいないよ。それにだね、広い広い海の真ん中で人が一人か二人消えたところで、誰が気にすると思うんだね?」
ただの決定事項を告げるように、男は言った。
手慣れた様子でフォークを置き、手慣れた様子で指を屈伸した。それが彼の日常へと回帰するための動作だった。
事が始まる前に、急いで灰川から押し付けられた食べ物をすべて頬張った。僕にも好き嫌いがないわけじゃあないが、まあ、礼儀と自分の中のルールの問題である。
どれも決して美味しくはなかったけれど、問題なく食べ切った。そんな僕の様子を見て、最初は笑っていた男たちの空気が徐々に困惑の向きへと変わっていった。
「言ってませんでしたが」
手が震えて、食器がカタカタと音を立てた。恐怖だけじゃない。どうしようもないほどの暴力への衝動だった。奇妙なことに、それらは僕の中で矛盾しなかった。
僕は己の狂気を握りしめた。
震えは止まった。
目の前の言った男の言ったことに、僕は内心で賛同していた。この豪華客船はちょっとした治外法権で、人が何人か死んで消えたところで、誰も咎められないのは本当のことだ。それが誰であっても。
「僕に毒は効かないんだ」
男たちが一斉に、僕に銃を向けた。
彼らの指先が引き金にわずかな圧力を加えるよりも早く、僕はその言葉を口にしていた。
『――変身』
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