見出し画像

テレパスでないことの恩恵

伝えること、感じとること、言葉を選んで、声に出して、打ち込んで、書いて、聴く。人とのコミュニケーションというのは生きる上で避けられない。言葉足らずであったり、誤解をしたりなどすれば対立もするだろう。誰もが沢山喧嘩をしたはずだ。それも全て、人間が相手の脳みそを透かして見れないせいである。

あの人はどうして怒っているのだろう、あの子はどういうつもり?、どういう気持ちで歌ってるのかな、色んな場面で私たちは相手の気持ちを知りたがる。筆者の主張だとか、女の子の心情だとか。そんなこと知るか、と思う。そんな時に欲しいのがテレパシー。こんな力さえあれば人間関係などちょろいものだ。おちゃのこさいさいというやつ。

しかし、それならもう会話なんていらない。相手の頭の中が筒抜けなのだから。言葉を選ぶことも、表現することも必要ない。本も映画も音楽もいらなくなるだろう。なに、頭の中で会話するだけだよ。そうかもしれない。それでも私は、私自身が超能力があればななどと言っておきながら、相手が何を思うか分からないが故の言葉選び、表現を愛している。

例えば、プロポーズ。結婚したい、私も結婚したい、そう"思っている"というだけでロマンチックな場所や緊張した慣れない言葉などもいらなくなる。決して、夜景の見えるレストランや震えた声がマストだと言いたい訳では無い。緊張するようなことを頭で考えるだけじゃない。断られるかもしれない不安よりも強い、死ぬまで一緒にいたいという気持ちを言葉にすること。それが何に勝るだろうか。将来2人の子が大きくなって、ねぇお父さんはお母さんになんてプロポーズをしたの?といった会話もこの世からなくなってしまう。ん〜忘れたよそんな昔のこと。本当は忘れていないのは25年前の一世一代の勇気だから。言葉の力は記憶にも干渉する。

日本人は察するということが得意であり、察することを周りの人にも求める。コミュニケーションの放棄ともとれるそれは、時には優しさにもなるだろう。何事も、時と場合によるというやつだ。その時と場合は察するべきかもしれない。我々が超能力を持たない限り、相手の全ては分からない。だからこそ人間は誠実な言葉選び、表現をすることが出来るのだ。テレパスでないから、月の綺麗さは愛を伝えるし、お前のこと好きの反対の反対の反対の反対の反対の反対!なんて言ったりする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?