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つまらないとは無知で食わず嫌いだ

私はよく「つまらない」と思います。

スポーツ観戦でもお笑い番組でも。すごく疲れた時や何にでもケチつけたいやさぐれた気分の時に多いのですが、この「つまらない」という評価は果たしてなぜそうなるのでしょうか。

それは、タイトルの通り食わず嫌いで、無知だからだと私は思います。つまらないと思う対象が原因なのではなく、知ろうとする努力をしない自分の浅い知識が原因なのだと思います。

面白いと思うことや好きと思うためには前提となる知識が必要なこともあります。

例えば、野球観戦をつまらないと言う人は速い球を打つことがどれほど難しいのか、また切迫した場面での相互のチームの読み合いを知りません。麻雀をつまらないと言う人は、捨てる牌によって相手が何を狙うのか読みつつ自分の狙いを手に入れる駆け引きの難しさを知りません。

「つまらないって言うお前がつまらない」と言う発言を耳にしたことがありますがあながち間違っていないな、と思います。

そんなことを大好きな小説家のエッセイを読みながら考えていました。私は読書がつまらなくて嫌いでしたが、近年やっと小説の嗜み方を知り好きになりました。今までは冒険ものだとか推理小説だとか、明確なスタートとゴールがないと面白さを理解できず、ただ生活をして主人公が誰かと関わってまた生活は続いていく、といった内容の小説の面白さがさっぱりわかりませんでした。しかしそういった小説も内容を理解できるようになった時、読書とはこんなに面白いものだったのかと感動しました。

つまらないと評価される人も育ちやルーツを根掘り葉掘り知ると、なんとなく面白みを感じるものだと思います。面白い人と評価される人の中にはしばしば自分というキャラクターを理解"させる"のが上手い場合もあります。お調子者で口が回る人だったりどんな話題にもついていける知識があったりなど。自分の周りの人が自分のことを簡単に説明できるほどの知識を与えている、という感じでしょうか。おしゃれな人、明るい人、お喋りな人、また寡黙であっても仕事ができる人、頭の良い人、でもなんでも簡単な知識を周りに与えられると「つまらない」レッテルから離れやすいと思います。

知った上で「つまらない」と評価することは難しい。つまらないからこそ、学びにいかねば。その美味しさに気づけない食わず嫌いはもったいない心地がしますもんね。

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