無欲
私は、自分は無欲だなと思うし、そう見られることも多い。
誕生日に欲しい物を聞かれても特に浮かばず、むしろ欲しい物を要求されるのが子供の頃から苦痛だった。
誕生日に貰う「おめでとう!」の言葉や、手紙は本当に嬉しい。でも、プレゼントは無くても大丈夫。
どんな物でも貰ったら嬉しいけれど、優柔不断な私は、父に「決めなさい」と言われるのが本当に嫌だった。
何も欲しくないのに、何か選ばないと父は怒った。
「欲しがらなければ」というプレッシャー。
私は父の顔色ばかりを伺う子供だった。
私は両親が40才の頃に産まれた子で、家族の愛情をひしひしと感じながら、とても大事に育てられた。
心底愛されているという自覚があるからこそ、期待に応えたいという思いが強く強くあり、私は家族の中でいつも気を張っていた。
あと、うちの父はアルコール依存症だ。
それが分かったのは、私が高校生の頃。それまでの父の像は、お酒が好きで、短気で怒りっぽく、怖いけれど、とても愛情深い人、という感じだった。
父は、酔うと上機嫌になるが、何か一つでも気に障ることがあると、目の色が変わった。
私も母も兄も、父の機嫌を損なわないように振舞っていた。
特に娘の私は、従順な性格もあってか側に置かれ、一緒に過ごす時間が多かった。
私にとって、日曜日は父とお出かけする日。1週間で1番神経をすり減らす日。
父のことは嫌いじゃないけど、重石だったのだ。日曜日になると仮病を使って、どうにか出かけないで済むように粘ったこともある。
私は、父の求める理想の子供を必死に演じていた。
いつまでも子供らしくいられるように、身体が成長しないように祈っていた。
その祈りが通じたのか、生理が来るのも遅かった。
父のタイミングに合わせて、機嫌のいい時に、気分を害さないように…。
そればかり得意になって、自分が本当は何をしたくて、何が欲しくて、誰と居たいのか、分からないまま歳を取って行った。
今でも誕生日になると、父の苛立つ顔が浮かぶ。
お互い深く愛してきたからこそ、刻んだ傷も多い。
何年経ってもわだかまりは消えない。けれど、新しい関係を築いていくことはできる。はずだ。
今年両親は70才台になった。
許せたこと、まだ許せないこと。変わらないこと。尊敬するところ、軽蔑するところ。
色々あるけど、親と過ごせる時間は有限だ。結婚して、実家を出たから尚更。
色々あっても、やはり親には幸せでいてほしい。そして幸せな私を見てほしい。
ふつふつと、そんな欲が沸き起こっている。
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