嘘をつかないで生きられるなら最高だけど、楽に生きるために嘘が必要なこともあると思う

「どうしてウソをつくの?」
「噓つきは泥棒の始まりだよ」

幼い頃に、こんなことを言われた経験があるだろう。
でも、大人になっていく過程と、大人になった今、
どうしたって、ウソをつかなければならない場面もある。
もちろん、ウソをつかないで済むなら、それが一番だけど。

漫画「夜廻り猫」の作者、深谷かほる先生が、
嘘には4種類あるのでは、と指摘していた。
それが、
『子どものつく罪のない噓。人を守るための噓。心や体が限界で、やむを得ずついた噓。そして、人を傷つける噓。』
『「大切な信頼関係を守るために、ついてはいけない嘘があると思います。そんな嘘で、本当の保身は出来ない。そう思いたいです」』
(出典元:withnews 2018年6月22日)

嘘をつかないで済むなら、ウソをつかずに生きたい。
でも実際問題、
・人を守るための噓
・心や体が限界で、やむを得ずついた噓(限界でないとしても、ちょっとウソを言わないとまずいな、と感じることもあると思いますが…)
2種類のウソをつかなければ、心が維持できないのではないか?と思う。

ウソをつくことが良いことだとは思わない。
でも、正直に、自分に厳しくし続けて心を病んでしまうのは行き過ぎだ。
もっとゆとりある社会であって欲しい。
心を壊してしまう人が1人でも減って欲しい。
例えウソがよくないことだとしても、ウソが必要になることもあるのだ。

出典:withnews
https://withnews.jp/article/f0180622001qq000000000000000W04i10101qq000017531A

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