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お金を払うときのこだわりmy ルール

一人暮らしを始めて、お金の大切さを
身に染みて感じるようになった。

と同時に、持ち物、食べ物、訪れる場所…
こんなにお金が掛かるものなのか、とショックを受けた。

食べ物であれば、仕送りで実家から送られて
くるものは、どれもありがたく頂いている。

しかし、お金を払うとなると、
これまた違った話になってくるのだ。

自分でお金を払うとなると、その物事に対しての
ジャッジはより一層厳しくなる。

ものであれば、半永久的に、
初めてであった時のときめきを忘れずに
使い続けることができるか。

食べ物や訪れる場所であれば、
それを経験したとき、
感動して、満足することができるのか。

私はお金を払うときには、このジャッジを
my ルールとして採用している。

とはいっても、人の気持ちは移ろいやすいので
欲しいものに出会ったときは、
一ヶ月間寝かせ、定期的にその写真を見返し、
一度でもときめく気持ちがなくなれば、
それは振り出しに戻り、リセットされる。

味や景色を見た時の気持ちが想像できそうな
ものに対しては、わざわざお金を払って
経験しなくてもいいかな、と思ってしまう。

…このジャッジをすり抜け、
踏みきる機会はかなり限られているのだ。

食べ物も、訪れる場所も、
誰かと一緒に共有できる場面であれば
感動できるので、プライスレスになる。

誘われたら、極力足を運ぶようにしている。

だが、インスタで綺麗な景色や
おしゃれなカフェをみて、
行ってみたいなぁ…と思っても、
実際に行くか?となると、途端にその可能性は
なくなってしまうのだ。

だからこそ、本当に選び抜いてチョイスしたもの
からはすごく大きな感動が得られると思うし、
その気持ちをずっと大事にできると思う。

けれど、もっと気持ちのままに行動できたら
味わえる幸せもあるのだろうなぁ、とも思う。
(実際、新しい服を手に入れただけで
テンションはあがるし、あれば着倒すしな…)

極論、お金があれば、こんな風に考えることも
無くなるのだと思うし、
財閥のお嬢様みたいな、
「ここの棚からあそこの棚まで全部!」買って
毎日違う服を着たりもしてみたい。

でも、人は誰しも死ぬときには
何も持たずに死ぬのだし、
周りの人に与える影響は一瞬で、
結局は自分の気持ちに繋がることだもんな。

好きなことをすべてする人生と、
こだわり抜いて選んでする人生であれば
どちらのほうが幸福度が高いのだろうか?

もしも前例の研究結果があれば、
ぜひ教えていただきたい。

それにしても、今日の活動後のテンションの高さを帰って家で1人になっても味わいたくて買った
1Lのレモンティーはとっても疲れた身体に染みて
美味しくて、衝動買いだったけどやっぱり間違い
じゃなかった、と思える。

こうやって自分を甘やかすのも、
やっぱり悪くないかもしれない。

毎日note日記*27日目
〈1101文字〉

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