平成最後の「昭和の日」に、令和の時代の社会インフラを考える 2019.04.30

「エネルギー産業の2050年 Utility3.0へのゲームチェンジ」の出版を機に、わが国のエネルギーインフラの将来について議論する機会が圧倒的に増えました。しかしエネルギーインフラの将来を考えていると、必然的に社会インフラ全体をどう維持していくかという問題意識にたどり着きます。一部の大都市を除き、人口減少・過疎化が急速に進むことは避けがたい事実となっており、インフラ維持や運用にかかるコストを適切にダウンサイズさせていくこと、同時にコスト回収策を抜本的に見直すことが喫緊の課題となっています。厚生労働省が所管する「水道事業の維持・向上に関する専門委員会」の資料などを見ても、自然災害に対する断水問題だったり、高経年設備の問題だったり、原価構造の話だったり、電力インフラととても似通った問題提起がなされていますし、先日行われた経済財政諮問会議に提出された民間有識者資料でも、水道や郵便など主なユニバーサルサービスの現状に触れ、財源の確保に向けて議論を開始すべきことが指摘されています。

そして、もう一つの手段として私たちが議論しているのが、産業間の融合です。「エネルギー産業の2050年」では、電気自動車を結節点としてUtilityとMobilityの融合を描きました。これはあくまで一例で、交通や水道、農業、他のエネルギー事業などとの融合を加速させる必要があります。産業が融合することによって、コストダウンが可能になるだけでなく、高い付加価値が生まれるケース、その両方が可能なケースもあるでしょう。 単純なところでいえば、電力やガス、水道などそれぞれのサービス事業者が、検針や料金請求・収納業務を行わねばならないものでしょうか?自由化によって電力・ガスのおまとめ販売をする事業者さんはいくつか出てきていますが、より多くの事業をまとめることで社会コストを減らすことも、今後検討されるべきでしょう。

付加価値を高めるという点においては、例えば、EVのカーシェア事業と再生可能エネルギーによる地域での発電事業、そして小売り事業とを融合させることで、地域のエネルギーマネジメントの最適化が可能になる、というよりも可能にしていかねばならないと思っています。

エネルギーそのものは単なる手段であり、地味な存在です。国の血液にも例えられるものの、普段の生活で血液の役割に気がつくことが無いのと同様、エネルギーも供給が途絶した時に初めてその存在に気がつくものかもしれません。ただ、そういう存在だからこそ、他の社会インフラ事業のプラットフォームにもなり得るのではないかと思っています。

平成最後の「昭和の日」という、若干ややこしい1日に、来るべき令和の時代の日本の社会インフラを考えてみました。皆さま、良いゴールデンウイークをお過ごし下さいね。