うつ病日記はじめました【随時掲載】

2017年末から変調し、翌月に「うつ病」を発症。そこからの地獄の日々を書き連ねていきます。精神疾患は、それぞれ発病のきっかけ、程度が違うので、全てを共感するのは困難だと思います。それでも、一つでも「あ~、分かる!」と響くものがあればと、願っています。

【「うつ病」発症と退職までの主な経過】

・2017年12月15日
休日に会社に呼び出され、NS編集局長(当時)からKM編成部長(当時)同席の下、18年1月1日付け運動第一部(野球部)異動を通達される。野球担当は07~09年に北海道駐在で日本ハム担当をして以来9年ぶり、運動一部所属となれば、06年以来12年ぶりのことだった。その席上で「(お前は増村に(以前の部長面談で)『外(取材)に出られないなら辞めますよ』と脅したそうじゃないか」と切り出され、「辞めるとか辞めないとかまでは考えていなかった」と返答後に「言い訳を言うな!舐めてんのか?殺すぞ!」と怒号。続けて「お前がうちを辞めたいのなら、俺は止めないよ。だけど、お前がそこまで言うのなら今回は(外勤の)かなえてやろうじゃないか。最後のチャンスだ」。高圧発言の数々。私への期待感は全く感じられず、後味の悪さだけ残った。それ以来、不眠症状が出始める。「うつ病」のきっかけとなった。

・同22日
HN野球部長(当時)と面談。自宅住所の確認をされる。「中延」と伝えると「それなら、西武担当になっても通えない距離じゃないな」と告げられ、担当が西武となりそうな予感を持つ。「西武球場前」までは、往復3時間…。「希望はあるか?」と聞かれたので「連載を含め、甲子園100回大会に関する仕事をしたい」とは伝えた。

・同23日
デスク会にて西武担当に正式決定。デスクの一人からは「来年の西武は優勝の可能性もあるし、菊池雄星のメジャー、浅村のFA、松井稼の引退、辻監督の契約最終年と懸案事項が多いから、若手ではなく経験豊富な記者にやらせるべき」との理由で私に決まったと説明された。野球部異動が発表された際も、過去に現場でともに仕事をしたことがあるデスクを中心に「期待しているぞ」「若手の見本になってくれ」と声をかけられ、もちろん嬉しさはあったが、それ以上に期待の高さが重圧としてのしかかった。さらに、メールで送られた18年担当リストには、西武&ロッテの統括キャップとして「OM」の名前が。嫌な予感は、この時点からあった。不眠症状が酷くなり、ドラッグストアで購入した睡眠導入剤「ドリエル」を毎晩のように服用するようになった。

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