4/9 10:30

4/6 お通夜 4/7 ミサ・告別式・火葬 4/8 納骨 そして4/9 母の部屋の片付け。

片付けが上手じゃないのは母譲りかも。歳とるとみんなこうなるのかな。よく母から、東京に来るたび、「豚小屋のごったったい」って言われてたことを思い出した。この部屋も4月いっぱい。書類の手続きでもう一度来る予定なのでそれが最後となる予定。母の匂いがするのでギリギリまで居ることにする。

母との思い出で私がまずパッと思いついたのは、18歳で東京で下宿生活を始め、近所の銭湯に行く途中に電話ボックスからコレクトコールで電話してたこと。学校やバイトのこと、そしてよく仕送りのお願いしてた。当時何の根拠もなかったけど、東京で成功して親孝行絶対するっていつも思ってた。

平成16年、自分で有限会社を始めてその報告をしようと思ってたら、親父が亡くなった。報告できなかったことをすごく悔やんだ。同時に母が一人暮らしになるから、できるだけ地元に変えることができる仕事を見つけなきゃと思った。会社を始めてから年に何回かは地元に戻るようになった。

平成23年。3.11の時、奥さんと娘が3週間くらいお世話になった。当時東京はベビー用品や食料品が買えなくなってきてたし、ちょうど友人が故郷で結婚式をあげるタイミングで家族で参加することになっていたので、そのまま居させてもらった。嫁と姑の関係なので奥さんは大変だったと思うが、私はとても安心してた。

2020年のお正月は母と兄家族と一緒に食事できた。すごく喜んでたみたい。そしてこれが奥さんと娘が母と会った最後。私は2日の朝、一人で一時間くらいマンションに寄って世間話して帰った。糖尿病患者の食事療法の本をもらった。これが最後。ただ電話ではよく話していたし、兄もよくマンションに来てると聞いていたので安心してた。亡くなった当日の夕方、電話で色々話せたことはホントよかったなって思った。

泣きすぎて今日も目は腫れてる。なのに今日も母が使ってたベッドで泣いた。もう泣くのはおしまいにするつもり。親父の時もそうだったけど、ずっと近くにいてくれる気がするので、これからは家族や会社のこと考えて前向きに頑張ろうと思う。わかんないことや悩んだりしたら2人に訊こうと思う。「どぎゃんすればよかとかね」って。

東京は仕事も生活も問題山積み。全く予想できない事態になってる。こんな時こそ焦らないで冷静にいよう。でもぶっちゃけ、まぁどぎゃんかなるでしょうって戦後復興できたこの街でnote書きながら思ってます。





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