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We Want A Sunrise

なんだかね、あんまり怒られ慣れるっていうのはよくないことだと思っているのだけれど、大人になるにつれてそういうことを受け入れられるようになってきたというか。

根が真面目なんで(?)、怒られると全身全霊をかけてそれをまともにくらってしまうタイプの人間だったんだよね、割と今まで。だけれど、繰り返す経験や世界の不条理なんかを目にして、他人の正義なんてものは実は理不尽の塊なのかもしれない、なんて思うようになってきたりもしてね。

いつだか友人がそういったことを、知を得てしまう故に我々は有限の世界に閉じ込められるのだ。というようなことを言っていた。我思う故に我あり。デカルトかな。確かにそうだと思うんだよね。いやそれって表裏一体だとも思うんだよ。だって知識が広がらなきゃ見えない世界があるのは事実だもの。そんなことに拘っていたら井の中の蛙になってしまう。なんともこの世界の道理みたいなものにどうしようもなく理不尽を感じたりもするよ。労せずに人として大きくなれたらいいのに、労さずをして知るべからず、みたいなところもあるでしょ。

まあでもね、そんなことを言ってもだいぶ強くなったと思うんだ、誰かに嫉妬することも少なくなったし、自分への評価も正当に受け止められるようになってきたというか。「仕方ないよな、おれってそんなもんだもんな」っていうのは諦めじゃなくて客観的な自己評価なんだっていうことをようやくわかってきた気がするよ。もちろん自分に期待したり、もっと上を目指そうって思いはするけれど、あんまりに上ばっかり見ていると今までやってきたことが全て無意味になってしまいそうで、それはまるで足下を見ずに高いところに登り続けて、気がついたら自分でも知らないような高さまで来ていたときに足がすくんでしまう、そういう気持ちのような気がして。そんなの傲りだって昔は思っていたけれど、いまは少しだけわかる気がする。大人になるのが怖いなっていうのはそういうこと。

こういう状況になって、他人との距離というか関わり方が大きく変わったでしょ。そんなふうにして、自分と他人を見つめる方向というか感覚も少しずつ変わってきた気がしていて。もちろん悪いことばかりではないし得たこともあるのだけれど、この時間が無意味だったってことにはしたくないのだけれど、それでも、やっぱり世の中はあるべき位置に戻る必要があると思うし、僕自身が成長するためのピースはいまここにはないなって思ってたりもする。そういうことをね、なんだかもどかしくって、どこにもぶつけようがなくって、曲を書いてみました。

考えたってどうしようもないこともあるけれど、そういう停滞したときの「考えたこと」って、実はのちの人生で役に立ったりするよね。

だからこうして思ったことは言ったり歌ったりして残しておきたいんだ。そうすれば、ああ、あの時期は確かにそこに生きていたんだなって思える気がして。

未来の自分がどう思うかはわからないけれどね。10年後くらいに見返して、ああ、よかったな。って思えるといいね。

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