「ただ生きること」 × 「よく生きること」
4月に入り、リクルートスーツを着る学生をよく見る。
僕も大学四年で就活という1つの選択肢の狭間で「今」を生きている中で
「働くとは」という問いに対しての解をすごく求めている自分がいる。
会社で働かなくてもなんとか生きている時代。
フリーターや無職になりたいわけではないが、
どこか「働く」意義や「なぜ就活するか」についての自分の中での納得いく答えを出してたくてもがいている。
そんな中、友達との待ち合わせ時間の合間にふらっと立ち寄った本屋さんで一冊の本と出会った。
戸田智弘さんが書いた「新!働く理由 111の名言に学ぶシゴト論。」
本を購入するときはだいたい中身をパラパラと読んで買うかどうか悩むがこの本はタイトル買いだった。
今の自分が呼ぶべきバイブルの1つなのではと勝手に認識し、購入した。
簡単に中身の紹介をすると
「働くことを哲学しないといけない時代に生きている」という冒頭から始まり、人生の先輩たちがあらゆる角度で「働く」という1つの行為についての考えや言葉を戸田さんなりの解釈で置き換え、解説している本になっている。
いくつかのラインナップの中で
今日は「ただ生きること」×「よく生きること」というトピックについて著書の内容を抜粋し、僕なりの解釈を混ぜながら書きたいと思う。
1つの名言を読んでほしい。
「哲学の祖」でいう有名な古代ギリシアの哲学者の1人ソクラテスの名言。
大切にしなければならないのは、
ただ生きるのではなくて、
よく生きるということなのだ。(中略)
その「よく」というのは、
「美しく」とか、「楽しく」とかいうのと同じだ。
ここで注目したいのは「よく」とい言葉の使い分けの意味だ。
例えば、「よく食べた」というのは「たくさん」という意味の「量」の意味を持っている。
では、「よく眠れた」とはどうだろうか。「よく眠れた」は言い換えれば、「熟睡できた」と言い換えれるが、これは「量」よりかは「質」の要素を持っているのではないかと筆者は問いている。
今回のソクラテスの「よく」は後者の意味合いが適している。
「よく生きたい」と思わない人はこの世にはいない。
「よく生きたい」と思うのは生物学上でも人間だけだ。
そもそも人間の「生」の営みには「生きていく」と「生きてゆく」の2つに分類される。
前者は意識のない静的な生命現象で言うなれば、植物的な生命活動と言える。後者は、意識のある状態で具現化されていく生命現象で、動物的・人間的な生命活動だと言える。
次に、「生きてるゆく」は「たくましく生きてゆく」と「うまく生きてゆく」、「よく生きてゆく」の3つに分類される。
1つ目の「たくましく生きてゆく」とは、生まれつき備わっている本能行動や情緒行動であり、それによって個体維持と種族保存をめざす生命活動である。
2つ目の「うまく生きてゆく」とは、変化する外部環境に適切に対処していく適応行動である。
最後の「よく生きてゆく」とは、未来に目標を設定し、何らかの価値を追求し、その実現を図ろうとする創造行為である。
この3つの中で、「よく生きるということ」には2つの側面がある。
1つは「自己実現」という点だ。
「自己実現」は簡単に言えば、自分が持っている能力を十二分に発揮し、自分の発展と成長を目指すことだ。ここでの鍵は、自分で自分の方向性を決定し、その舵取りを自分がしていくこと、自分に与えられた生の条件を受け入れられた上で実現可能な目標を立てるということだ。
人間は社会的動物だから、自己実現は社会的な形態を取る。
なおかつ仕事は自己完結的な活動ではなく、仕事の価値は自分の外にある他者の評価や普遍的な価値(よい、正しい、美しい)との関わりによって生まれてくる。真の意味での自己実現の欲求(個人)を満たすには、普遍性の追求(社会)ということにつながる。
もう1つの「よく生きる」の側面は「普遍性の追求」となる。自己実現も「社会的自己実現」と言い換えれる。
個々人が「自己実現の欲求」と「普遍性の追求」の2つの両輪が前進していくこと、すなわち社会全体の中に「よいこと」「正しいこと」「美しいこと」が蓄積していくことであり、それによって社会が前進すると言える。
ここから僕は何を学んだか。
「生きる」という1つの営みの中で
「生きる」の中にもいくつかの分類がされており、どの選択を取るかによって「生きる」というものに意味や意義が変わってくる事を知れた。
ただ呼吸して、ただひと叩き、ひと叩き心臓が動く。
これは動物的な生き方。
僕たちは言語力と思考力という人間特有のツールを持っている事を認識し、活用していかなければならない。
「働く」とはわたしたちが「生きる」ための1つの手段でしかない。
この手段を取る前に僕たちは「生きる」ことに向き合うことも重要であり、その活動をする上での目標設定や意味を常に問う作業が「働く」ということではないだろうか。
今回は「働く」ということにフォーカスしたというよりか、
「働く」の前提の「生きる」ということについて取り上げてみた。
次回は「よく生きる」と「働く」という関係性やつながりについては
書きます。
最後に社会契約論で有名なフランスの哲学者のルソーの言葉を送ります。
生きること、それは呼吸をすることではない。
活動することだ。
私たちの器官、感官、能力を、
わたしたちに存在感を与える体のあらゆる部分をもちいることだ。
もっとも長生きした人とは、もっとも多くの歳月を生きた人ではなく、
もっともよく人生を体験した人だ。
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