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どっちがより「気持ち悪くない」のか

今日も肩の力を入れず軽く書いてみよう。

自由に使える時間は基本的にイヤフォンをつけっぱなしで、音楽を聴いていないときはラジオやYouTubeの主に報道番組を聞き流している。
「Session」「ゴールデンラジオ」「Arc Times」「ポリタス」「デモクラシータイムス」などに触れていると、気が重くなることもしばしば。
それでも、見ないふりをしつつも実は後ろめたさを抱えている自分を知りながら日々をやり過ごそうとするよりはマシなのかも。
少なくとも自分は後者の方が気持ち悪かった。ただそれだけ。

限りはあると思うけどいろんなことを知っていくと、例えば自分が入れ込んでいるポピュラー音楽もいかにちっぽけな存在かが浮き彫りになる。
世界で起こっている事柄の中に並べると、程よく相対化される。
自分にとっては好きな趣味だから、取るに足らないとは言いたくないけれど、身の丈を知るというか、どれぐらいの重要度なのかは謙虚さを持って捉えられる。
そういう意味での、「たかがポピュラー音楽」(されど…とは一応書いておくが)。

権力の腐敗というものを見るにつけ、ほぼ必ず思い出す映画が『コレクティブ 国家の嘘』(2019)。
ルーマニアで起こった汚職事件に題を採ったドキュメンタリーだが、あるライヴ会場で起こった火災事故は、予想もしなかった方向へと展開していく。
私自身も、自分が暮らす国の時の政権が何をしようが、単なる一般人の一人である自分にはほとんど関係がないことと高を括っていた。この映画を観るまでは。
助かるはずだった人々までもが、なぜか次々と犠牲になっていく。

2021年10月の公開時に観ていて、公式サイトもまだ残っている。現在、複数の映画サイトで配信されているようだ。

鑑賞したときは打ちのめされ、感想を書けていなかった。
本当に凄いものを見たときは無力感に負けてしまう。
でも、こうして映画として世界で公開されているという事実があり、白日の元に晒されているだけでも、希望はあるのかもしれない。
本当の絶望は、隠されている闇の中にこそ巣食う。

誰も見ていなければ、つい魔が差してしまうのが人間の弱さであり、おそらく自分もそうなのだと思う。
だからジャーナリズムがある。
それは揚げ足を取るためではなく、結果的にお互いにとってより良く生きるため。
悪意ある批判ではなく、建設的な批評が芸術を一歩高めるのと同じように。

知る前と知った後では、人は変わってしまう。
そのことをみんな分かっているからこそ、知りたくもないのだろう。
ここでも二択になる。どちらが自分にとっては良いのか。
自分にとってより「気持ち悪くない」のは、どちらなのか。


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