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映画『河内山宗俊』

山中貞雄の名は映画好きの間では今も語り継がれている。

私の場合は、学生時代に授業の一環で代表作『人情紙風船』を観た。
それ以来の山中監督作ということになる。

この『河内山宗俊』(こうちやまそうしゅん)は戦前の1936年作。

改めて史実を記しておくと、山中貞雄は1938年に28歳の若さで戦病死している。
5年ほどの限られた活動期間に、20本以上の作品を手掛けた早熟の才能と言える映画作家。
しかし悔やんでも悔やみ切れないが、多くが焼失したらしく、まとまった形で現存するのはこれも含め3本しかないという。

元々は87分あった今作も、今観ることができるのは82分なのも同じ理由からだろう。
途中、明らかに飛んでいる箇所に気づく。

デジタル修復された映像は、荒さはあるが特に大きな問題はないと感じた。
一方で、音声はやや小さく聴き取りづらい。通常より音量を上げて臨んだ(配信で鑑賞)。



内容を簡潔にまとめるとすれば、任侠もの、つまり人情もの。
そして時代劇である。

ある歌舞伎を基にし、先行の映画も参照しながら書き上げた物語は、実によく書き込まれている。
入り組んでいながらも、それぞれの人物がなぜそのような行動を取るのか理由が表現されており、映画の脚本に求めているものが充分に満たされている。
登場人物たちの動機が納得できるまでしっかり描けていれば、その作品はそうそう悪いものにはならないはず。

(あらすじを自分の言葉で分かりやすく伝えると長くなりそうなので、気になる方は商品の詳細を参考にしてください↓)


冒頭の、雇われ浪人が出店の「みかじめ料」を集めに回るところから、侍から盗みを働く荒れた弟まで、全てが一本の糸のように繋がっていくのが見事だ。
何一つ無駄のない演出。

半ば無気力に、無目的に過ごしていたならず者たちが、人生を壊された知人のために一肌脱ぐ義侠心。

その場凌ぎの浅はかで軽率な行動が巻き起こす事態、勘違いもあるが嫉妬せずにはいられない心情、隙あらば銭儲けに走る卑しさ、権力にすがりついている自覚すらない男たち…。
人間臭い欲望が溢れ返る町で、ほんの小さな商売でその日を暮らしている少女の姿は、はずれ者たちにとって意識しないまでも唯一心の拠り所だったのだろう。

そんな純朴な存在を演じるのは、当時15歳の原節子。
可憐でありながら落ち着いた演技で、この人は芝居をするために生まれてきたに違いないと思うほど。
純粋さを保ちながら、同時に悲しみや絶望をも体現する様は説得力を持ち、心を打つ。


撮影など技術面でも完成度は高く、構図や切り返しの巧さ、移動撮影の臨場感もさることながら、ときおり差し込まれる無言のカットが逆説的に雄弁だ。

特に、破滅を知った瞬間に、無邪気な子どもが風船を買いに来る場面では、その対比が示す残酷さに胸が締めつけられる。


時代劇とはいえ、今から見ると基本的人権も何もあったものではない瓦解した倫理観、退廃した人心だが、そんな世に自分だけは抗うと気骨を示す者もいる。


山中貞雄が遺した業績に思いを馳せる。

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