心を込めて送り出す

うっすらと予想していた通り、ほんの少し体調を崩す。先頃までの怒涛の日々で体力が持ってくれて良かった。ここ数日は多めに寝ておいた。万全でもないが、風邪と言うにはほど遠い。今はほぼ回復。

エアコンのフィルターだけと着手したところ、結果として先送りにしていた大掃除に。昼ご飯を挟み、4〜5時間かけたものの、まだ半分くらいか。
家でも仕事をしやすくするため、あとちょっと片付けたい。
使わないものは収納へ、書類は出し入れしやすいところへ。

元々、モノは極力少なくしていて、ほとんどラップトップ一台で全てを済ませている。
これは一頃もてはやされた「ノマド」なのではないか。自分の部屋から一歩も出ていないけれど。
"何も持っていなければ、失うものも何もない"という一節があるけれど、本当に身体一つだけという感じ。
物欲なども消え失せた。
もちろん、人並みに欲しいなと思うモノはたくさんあるのだが、所有という概念が希薄というか、その状態を維持するためにもコストがかかると考えると、どんどん人にあげたり手放したりしてしまう。

自分は起きている時間はほぼイヤフォンかヘッドフォンを付けているので、用がなければわざわざ出かけたりもしない。聴く時間がその分だけ減ってしまう。

孤独に耐えられない人は、選曲などはまず無理だろうなと思う。
世の中に選曲する人なんて稀だろうけど、とてつもなく孤独な作業なので、誰もができることではないだろうなと予測する。
自分の場合は孤独耐性があるのか、もっと独りの時間が欲しいぐらい。本も読みたいし。
そんな強がる私とて所詮は人の子なので、会いたい人はいるし、ものすごく会いたくてたまらない人もいる。一言交わせただけでも胸の奥が温かくなるような相手も。
でもその人数はあまり多くない、というところか。
先方の都合もあるだろうし。その場合、無理してまでその人の時間を奪おうとは思わない。

孤独に耐えられないのではなくて、自分と向き合うのが辛いのだよね。
そこから逃げるためになら、人は何でも思いつくからなぁ。
自分で自分の感情を見つめる時間。
そこを通してしか人間は成長しないような気もするけれど。

音楽を聴いているときでも、映画を観ているときでも、絵画を鑑賞しているときでも、自分の反応を、心の動きこそを見ている。
その感情に対して健全な距離を保ちつつ、外から眺め、つっかえながらも内側から出てくる自分の言葉で言語化し、他人に伝えようとする行為。
それが毎週ラジオで喋っていることなのだな。

そりゃ全ての喋りをそこまで突き詰めているかというと、単に情報を正確に伝達しようとする場面もある。
が、一曲一曲を電波に乗せる際、つまり曲の再生ボタンを押すときには、魂を吹き込むように送り出しているつもり。

2013年、プロ野球の楽天イーグルスが優勝した瞬間を覚えているだろうか。
その年、田中将大投手は24勝0敗1セーブという前代未聞の成績を打ち立てた。
唯一のセーブは、勝てば優勝が決まる試合で最後を任されたときのこと。
たった1点だけのリードで迎えた最終回、チームは胴上げに相応しいピッチャーは田中において他にはいないとばかり、一年を通して先発として起用し続けたにも関わらず、最も大事な場面で抑えとして指名する。
ブルペンで肩を温めていた田中を、チームメイトは一斉に手を叩くようにして送り出す。
それはまるで宴会の終わりでの一本締めのようにも見えて、チームの全員が集中し心を込めて送り出しているからこそ、自然とそのような所作になったのだろう。
結果はご存知の通り、ピンチを招いたものの投げ切り、球団に初のリーグ優勝をもたらしたのだった。

例えが長くなった。
全曲にそこまでの思い入れがあるかはともかく、曲をかけるときはそのぐらいの気持ちでいる。
「行ってこーい!」と送り出すようでもあり、確信を持ってそっと背中を押すようでもある。
だから、後悔のないように曲を丁寧に選びたいし、また厳選するからこそ、心の底から送り出したくなるのだ。



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