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ヴァレンチン・ヴァシャノヴィチ監督2作品

ヴァレンチン・ヴァシャノヴィチ監督作品上映会

ウクライナ支援の一環として、映画人たちを支えるべく、日本未公開だった作品を上映する試み。
クラウドファンディングで寄付を募り、返礼として鑑賞券も選べたので、2作品とも観てきました。
プロジェクトは引き続き4月12日まで継続中とのことです。


『アトランティス』(2019、ウクライナ、108分)

対ロシア戦争が終結し、1年が経った2025年。
この設定に、まるで近未来を見事に予見したSFだ、と思ってしまった私は、とても無知だったことを痛感させられた。
つまり、ウクライナの人々にとっては、2014年から戦争状態が続いているわけで、加えてこの時期に終わっているとしたら早い方だというのだ。

この重い現実に呼応するかのように、テンポは遅く鈍重とさえ言える。
撮影方法はさらに特徴的で、遠景からの固定カメラによる長回しを多用する。

現在進行形で、世界で最も緊張度が高い地域だからこそ、明るく軽快な作品など出てこようはずもないが、陰鬱さが全体を支配している。

主人公は明らかにPTSD(心的外傷後ストレス障害)を患っている。
戦友でもあるのか、知人とは一緒に自主的な射撃訓練をしていたが、彼の方が心の病は重く、あるとき職場で発作的な行動に出てしまう。

その後、東部のドンバス地域で水を運ぶ仕事に従事していたところ、死体を掘り起こしては身元を特定するヴォランティアの女性と知り合う。

終戦直後の停滞感は、残骸となった元住居や、至るところに数多く残る地雷などに象徴的に表されている。
産業構造も古くなってしまい、製鉄工場の閉鎖で雇用も失われる。

そんな中、これからもここで生きていくと決めた人たちの身を寄せ合う姿が、微かな希望を残す。
セリフも少なく、音も映像も余白が多いので、観る側も静かに解釈を書き込んでいける、そんな種類の作品。


『リフレクション』(2021、ウクライナ、126分)

最新作ということになるこちらは、2014年の対ロシア戦争1年目という設定。

主人公は外科医であり、搬送されてくる戦場の負傷者たちを治療する日々。
娘が1人いるが、妻とは別れている。
彼女たちは再婚相手と暮らしてはいるものの、たまに皆んなで会うこともあり関係が悪いわけではない。
以上の人物像を冒頭シーンのやり取りだけで表す手腕が見事。

その2番目の夫は、危険を顧みず積極的に前線へ赴く。
一方の自分は、安全な後方で支援するだけ。
愛娘と2人だけで過ごす時間の中で、悪気なく素朴に問われた一言でそのことに悩み、遂に自らも戦地に乗り込む。

しかし慣れない業務だからか、あっさり敵側の捕虜となってしまう…。

収容所での扱われ方や、「尋問」の方法は酷く、正視に耐えないほど。
すでに紛争当初から、非人道的な事態だったことが伝わってくる。

同時に今作は、戦下で家族はどう生きていくかをも描いている。
人間として尊厳を守る行動を取った(と私は解釈した)ことで、主人公はある隠し事を背負う。

そのことが、大事な人たちをこれからも悲しませないでいられるかは分からない。

戦争というのは、誰1人として不幸にならない者はなく、それぞれが受けた傷を一生抱えていくものなんだな、と何万回目かで思わされる。

窓に映った空に飛んで行こうとして激突した鳩や、唐突に野犬の群れに襲われるところなどなど、何かしらの暗喩なのだろうが、いまだに読み解き切れていない。

撮影も兼ねる監督の特徴である固定カメラの長回しも、どうやって撮っているのか?と驚くぐらい現実に肉薄している。
横幅よりも奥行きを活かした演出も新鮮。
一幕ごとの舞台劇を、連続して観ているように感じられなくもない。


最後に


今回、私が観た回の上映後に、筑波大学の梶山祐治さんとのトークショーがあり、
「日本に紹介されているウクライナ映画はごく一部に過ぎない。日本語だけで映画を観ていても世界の映画の一端だけしか触れることはできない。その向こう側に豊穣な世界が広がっている」
という趣旨のことを仰られ、知的好奇心を強く刺激させられた。
この部分は、後日YouTube配信があるそうです。

大好きな映画を通して、ほんの少しですがウクライナを知ることができたと思っています。
一映画ファンとして、この企画に感謝しています。

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