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銭湯とモーニングコーヒー

今日は適当に京都をぶらついていたのだが、ふと立ち寄った銭湯がとても素晴らしかったので、ここに感想を書き留める。

今回立ち寄った銭湯の名前は「サウナの梅湯」。近くに小川が流れている場所にあり、散歩している時にそのレトロな外観に惹かれて入ってしまった。

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銭湯の中はいたって普通の空間だ。ジャクジーバスと白湯が一つずつ、加えてぬるめの水風呂と冷たい水風呂、そしてドライサウナ。「ああ、昔ながらの銭湯だなぁ」と思いつつ、サウナと水風呂のサイクルを繰り返していた。しかし休憩中の水風呂の壁面を見てみると、何か貼ってあるではないか。しかも壁じゅういっぱいに。

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「梅湯新聞」と書かれたその紙は、どうやらシフト制の番頭さんたちがそれぞれ書いているものらしい。就活がどうのとか、通っている大学がどうのとか、掛け持ちのバイトがどうのとか、個人的なエピソードが毎月上旬下旬に分けて発行されているようだ。これがなかなか面白い。この土地の話とか、京都の話とか、近くの芸大の話とかローカルな話題に興味津々で、サウナに入るのも忘れてずっと眺めてしまっていた。

こういった店側の人のことを知れる空間は、アットホームに感じてしまう。別に自分は京都の人間でもないし、この銭湯の常連でもない。もちろんここの客とも顔馴染みではない。しかし、なんだかこの銭湯コミュニティに入ったかのような気持ちで湯船に浸かっていた。

未知のコミュニティに入る高揚感には、身に覚えがある。私はよく喫茶店で勉強する習慣があるのだが、時々全然知らない喫茶店で勉強するときに、その店の常連と思わしき高齢客たちがモーニングコーヒー片手におしゃべりしているのをよく目にする。彼らはその喫茶店空間でコミュニティを形成しているのであり、私は異邦人であるというわけだ。

ああいった未知のコミュニティに紛れて勉強するときは、何らかの高揚感を得ることが多い。新しいものに開かれたような感覚であり、あれは旅をした時の感覚に近しい。というか知らない喫茶店に入ること自体がある種の旅である。

そういえば、従来の銭湯空間もコミュニティの場として機能していた。今でこそ喋ることはできないが、昔は常連が定時に集まって湯船に浸かりながら語り合う風景は、銭湯の原風景と言えるだろう。

話は逸れるが、「コミュニティとしての銭湯空間」と「京都」といえばどうしても「たまこまーけっと」のワンシーンが思い浮かぶ。ここでも銭湯は、本作のテーマである「商店街」のローカル・コミュニティ色を強める装置として機能していた。

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もちろん、現実の銭湯に入ったところで、その土地のローカルコミュニティの色を知れるとは限らない。というより、普通の銭湯では何も感じられないことの方が多い。だからこそ、今回立ち寄った「サウナの梅湯」はとても印象的だった。もう一度、サウナのためではなく、あの銭湯コミュニティの雰囲気を楽しむために寄ってみたいと思った。

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