うつ病を克服した私がうつ病になった時のこと 前半 高1

noteで最初に公開する研究結果はうつ病の攻略方法を
公開しようと思った。

だが、私の経験したうつ病とこのnoteを見ている人の
うつ病は違うかもしれない。躁鬱病なんかはわからないし知らない。

なので、私の経験をストーリー形式でこれからシェアするので、
「症状が似てるな~」と感じたら、
9月中に書く予定のうつ病の攻略方法を参考にするといいだろう。

では、参る!


~高校入学時のこと~

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今から15年以上も前のこと・・ 

受験勉強にやる気が無いまま、私はこの男子校に入学した。

学校にあまり意味を見出せない、、受験勉強にも意味を見出せない。
そのまま第一志望ではなく、この私立学校に入学した。

春休みは新発売のゲーム数本買って、ゲームざんまいだったから、入学時のテストも悲惨なものだった。

いやぁ、今も思うけど本当に名作が続けて発売したなって、、
すごく楽しかった。

とまぁ、そんな余韻に浸りながらこの記事を書くぐらいに
私はこの学校に興味が無い。今も昔も。

サクラサク・・・ではなく どーでもいい。

本当に心の底からどーでもいい時の記憶だ。

私・・・ミツは魔導師になる前から、映像ベースの”記憶想起術”に優れていた。当時から上級ぐらいあったかもしれない。

今も”記憶想起術”を使って、かなり鮮明に記事を書いている。


入学祝に雪印パーラーみたいなお店で母とパフェを食べたけど、
この時までの母は出来る方の母を演じていた。
信頼とまで行かないけど、まぁ家族として安心ぐらいの割と良好な関係。

後でボロが出るのだけども。

その母は私のことを親戚に反抗期が無いと評していたけど、
反抗期に反抗するほどの大きな理由が無かっただけだ。

猿じゃないから、たいした意味も無く反抗したいから反抗はしないのだ。


~高校1年 1学期~

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とうとう1学期が始まった。
担任は化学の先生で白衣で教室にやってくる60歳過ぎぐらいの白髪のおじさん。担任はそれほど個性無しだった。

印象的なのは 数学の先生と英語の先生ぐらい。

学年主任の数学の先生はバリバリの数学の実力派で大学もけっこう出来てそうなぐらいの人。国公立大学の問題や東大や京大の問題をバリバリ解いてた。

実力派なのはいいんだけど、この主任の先生が朝学習を強制していて、

朝学習のおかげでテストの成績も上がるし、大学に入れると
のたまう。(のたまうが先生の口癖)

「本当かよ?」と内心思っていた。


そして、英語の先生はクラスメイトいじりが趣味で
毎時間クラスメイトいじりで5分ー10分ぐらい潰れていた。
いじられる生徒は Y君とかM君とか が多かったけど、
割と満遍なく みんなをいじろうとはしていた。


まぁ、高校の授業は時間が伸びてるからいじりの時間を入れても

授業は消化出来るのだけどね。


まぁ学校には興味無いけど、

学校のストレスを減らすために入学時に散々だった成績は上げようと思った。

まずは高校で数学の論述形式が増えたので、

それに対応しないと100点は無理だと思った。

あとは得意な理科と、得意な暗記の社会ぐらいかな。

当時は本も読めない、読まないぐらいに理系に偏っていたので、

国語と英語は捨てていた。


とにかく、朝学習のために朝の6時半ー7時の間に起きないといけなくて、

朝がすごくつらかったのを覚えている。

通信教育のZ会をくだらない高校の勉強へのモチベ維持のために始めた。
しかし、これまで地雷に化けるとはこの時は思ってもいなかった。

1学期期末のテストは1つも90点越えが無く、

数学AとIの難しいかった方で85点で学年10位。


適当にやっていたら予想以上にやべぇなといった感じだった。

2学期からは中間も追加されるのでがんばらないと・・

高校1年 2学期~

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三国志のゲームから本にハマって、夏休みを終えた。
読書らしい文量の読書はこの頃から。


1学期とは違って合否みたいにクラスの入り口の壁に

張り出されたい・・・

遠い男子校は合わなくて、2学期のモチベーションは

とりあえずそれぐらい。

1学期から思っていたけど、前の席の寮生のクラスメイトが

昼休み時間のバスケの後に臭い・・・すげぇ臭い。獣みたいに臭い。


あまりに臭すぎると思っていたけど、

そいつのしゃべりを聞いていると思わぬことをつぶやいた。

「オレ、風呂1ヶ月入ってねぇわ~」


絶句した。

寮生の奴らはいつも乳毛抜きごっことかやっているし、

まじうぜぇ~~ 

と、自称進学校で寮生まで呼んでるけど、
この男子校がとにかく合わなかった。

朝学習とテストの点数の関連性も謎のままで

合わせて余計にストレスが溜まる・・・
むしろ、あと30分寝た方が授業を聞けて成績に良いと思っていた。

学校に通うのが憂鬱になり始めていた。


しかし、目標はあったので、Z会はあまりやらず適当だけど

授業中のプリントと教科書を使って自習して、

中間テストは数学が学年4位を取れた。

化学と現代社会も学年10位台。英語は赤点近くで国語は平均点未満。

まぁ、これでクラスの平均は超えれた。


家で勉強することは宿題以外はほとんど無く、テスト前勉強ぐらいだった。

だって、このクソな高校に興味が無いから、

それでもありがたく思えレベル。


宗教の授業で 道徳について記述して クラスで1番に評価されて
宗教の先生に褒められたりしたけど、

「こんな宗教の聖書読まないと道徳すらわからんの?」

という感想。作文書く時にこの聖書は真面目に読んでないよ。
テーマへの思いつきだけだよ。


そう思って過ごしていたら、別の学年の牧師が上司の牧師を刺して事件になってなかなかシュールな2学期だった。
下校時に警察とか病院の車両が複数来ていた。

反抗期が無かったと言われていた自分だけど、

「大人って、高学歴でもあんがいバカなのかも・・・」

当時は今より学歴社会だったけど、高学歴揃いのこの学校の先生方に
そう思うようになっていた。


なかなかにどうでもいい高校生活だけど、

2学期期末テストは数学Ⅰが念願の学年1位で100点!と・・

数学Aが92点で4位!
現代社会も95点で学年4位!

英語と国語はあいかわらずだけど、化学もまぁまぁ。

総合では中の上ぐらいだけど、張り出されまくりで気持ち良かった。

なにより、現代社会は"記憶想起術"の上級を使い、1時間の前日の勉強と当日朝の復習だけで4位を取れたのがとても大きかった。(効率良すぎ!)

クラスメイトに「どんな勉強方法したの?」と聞かれたけど、すぐにマネ出来る方法じゃないので普通できないし教えなかった。


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と、勉強はまぁまぁになった。

高校のストレスもこの時は少し減っていたように思う。


しかし、このすぐ後に父親が会社で立場がまずくなったことで

子会社に飛ばされ、母親の態度が急変した。

収入が激減したようだった。


数学の100点に関係の無い朝学習だけでなく、Z回も全部やれと

言い出した。

おかげで0時過ぎに寝るのに朝学習に通わされる日が増えた。

学校のストレスは相変わらずなので、ストレス抜きのために

晩飯の後にゲームする時間は削れないので、どうしてもZ会は0時過ぎた。

正直言って、ちゃんと成果を出しているのにありえないと思った。


そうして、ストレスが究極まで増大するままに冬休みに突入したのだった。


~高校1年 3学期 と春休み~

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冬休みが明けた・・・
何かがおかしい。憂鬱度合いが増している。
というか、冬休みなのにストレスが抜けないぐらいにおかしかった。

ゲームもプレイしたり、雑煮やおせち食べたり。正月もじいちゃんの家に遊びに行ったし。恒例のスキーもしたし(親に連れてかれたし)。
でも、ストレスが抜けていない感覚。

毎日熟睡できないし、毎日慢性で軽めの頭痛がする。

そして、、、

3学期のテストは冬休みが明けてすぐにある。

憂鬱からすぐに回復するだろうと思った。

2週間近くぐらい猶予はあった。

しかし、憂鬱から回復してテストには挑めなかった。

かろうじて数学が学年10位取れたけど、それも数学Ⅰと数学Aの片方のみ。現代社会も例の方法に何時間もかけて がんばったけど夜寝れなくて学年4位。

本調子じゃなくて、ボロボロだった。


謎の不調がつづくので、2年生前の春休み前に総合診療科に通ったけど、原因はわからずじまいだった。

当時はうつ病は地方都市レベルではその病気があることすら広まっていなかったのだ。

母親は「病院に通って何も無かったでしょ?きっと大丈夫なのよ。」

と他人事のように言う。

春休みの半分ぐらいの時間をかけて複数の本を読んで、私はうつ病なる病気があること、自分の症状に近いことを突き止めた。

ここから、さらに悪化するうつ病との闘いが始まるのだった・・・

ーーつづくーー  to be continued


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