うつ病を克服した私がうつ病になった時のこと 後編 高3


どうも。厨二病魔導師のミツです。

ひさしぶりに厨二病の魔導師になる前、
病んでいた時の感覚を思い出しました。

ああ、本当に辛かった。。。

あの時があるから今がある。

そう、白色で表現出来るような
ホワイトで優等生な偉人になりたかった頃のウブな私。
ウブだからこそ、バカな大人に従っていた。

そんなウブだった私が新たな力に目覚めて
うつ病打倒のきっかけを掴むことになります。

そう、誰の救いも無しに・・・

誰かが助けてきてくれるなんて所詮幻想なのです。

精神科で度を治したという話は
リアルで出会った10人以上のうつ病体験者の中では聞いたこともありません。岡村隆志や黒澤明や海外の人や偉人、有名人も苦しんでます。

では、後編 最終話 重度の症状の時に続けるとしましょう。

それではどうぞ!


(このページはフリー写真ACさんの素材を使っています)
https://www.photo-ac.com/

~3年生の春休み~

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私はベッドで昼間から電気を消して
頭痛に耐えながら 大人の罪について考え込んでいた。

1回だけのことではなく、
もう何回もだ。

というか、3年生時はもう
いつのことだか思い出せないぐらいに記憶があいまいだ。

とにかく、1年時の好調からここまで追い込んだ大人が憎らしかったし、
副作用ばかりの薬を渡して、治せない医者も嫌いだった。


まず、

強欲の罪・・・ もっと出せ!もっと成績を出せ! と
朝学習や通信教育などを強制した罪 先生や親が当てはまる
それ自分でやれない人以外には逆効果になったりする。
おまいらの欲しい金の卵の点数を産まなくなるで


怠惰の罪・・・ そもそ勤勉を強制されるのは大人でなく生徒側。

生徒の生活を余り考えずに雑に押し付けたり、
雑に通信教育やなどをお前らやれというのは怠惰過ぎる

世界史と英熟語の教師は朗読マシーンと化しているんだが、
NPCかよ!! 寝てる生徒多いし、効率悪すぎて生徒の時間の無駄。
 
 
嫉妬の罪・・・ 1年の時に上司の同期ぐらいの牧師に嫉妬して刺したようだけど、よく聖職者の牧師が務まるね。
授業を担当の牧師さんがやったら、もっと呆れていたよ。
あんなもん見せられる前から学ぶところなんて余り無いけど、
見せられちゃったからもっと無いよ。


そして・・・無能の罪は 大半の付き合いある大人だな。

「無能なのに権力持つなよ!振るうなよ!カスが!!」


そんな感じでベッドでぶち切れる日々。
高校になってからの大人共はありがた迷惑


反抗期どころか、どうしょもない大人を
さっさとクソ扱いしなかった自分を悔いた。


そいえば無能で思い出したけど、、

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そういえば忘れていた・・・
このしゃべるパン。
2年生の時からの担任だった・・・

K先生。そう担任だった。

このパンみたいな顔の形してるこいつ。


どうでもいいようなことばかり話をしていて、、、

唯一覚えているのが、

:盗んではいけない!(モーセの十戒の8番 汝、盗むべからず)

:遅刻せずに朝学習に出なさい!


だった。


そういえば、盗みをしていた生徒がいたんだね。

まぁ、私にはもう関係の無いセカイの話。
すでに同じ教室内で別世界。そう受験もね。


もう大学受験はやる気が無く、

受験期にみんながあわただしくなってきていても
頭痛と考え事のはざまで机に伏せてボーッとしていた。


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陰キャリーダー格のK「おい!てめぇ、ふざけんなょ。
何言ってるんだよ。」

こけし似の太めくん「いや、となりの川畑くんがKくんは良くないって
言ってたからぁ!」

陰キャリーダー格のK「意味わかんねぇよ。いつもキモイんだよ。
何言ってるかわかんねぇよ。」

こけし似の太めくん「いや、僕が言ったんじゃないしぃ!」

陰キャリーダー格のK「お前がわけのわからないことを言ってるだろ!」


と、周りも良く分からない内容でケンカしだしだり、
苛立ってるようなピリピリした空気になってきていた。


だが、私とNくんはうつ病なのでほとんどリタイヤしているし、
もうこの世界に余り関係が無かった。

そう、今すぐうつ病が治れば、、今のこのタイミングならば
ギリギリ大学に合格する準備が出来るのにって。


大人への憎しみを考えながら
まだこの時はギリギリ生きる闘志は潰えていなかった。

そう、減退していく記憶力、改善されない睡眠状態で
夜中はいつ寝れている状態かすらもわからない。

だけども、10代の若さが長期間耐えさせてくれていたのかもしれない。

下手すればこのまま死に向かっていくかもしれない恐怖と
戦いながら、日々を無駄に過ごしていた。


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母「精神科行ってみる?」

薬を飲まないけども
いちおう精神科は3年生の時も年に数回は行った。

だけども、地元の先生ではせいぜい前と同じような薬を出すぐらいしか
能が無かった。

副作用を感じてすぐに飲まなくなった。


今思えば、当時の薬への警戒は重症化が定着しないために正解だったと思う。

今でこそ、精神科の薬の問題は小学生の子供に飲ませる等、社会問題化しているが、当時の強い副作用の薬を信じて飲み続けて廃人になった人もいたぐらいだ。


私は、最初の2年生の時の精神科でも医者の薬が役立たず過ぎて、
1ヶ月で見切りをつけていた。

当時はコンサータやストラテラや
その前のリタリンですらなく、さらに前の世代の薬だったから、
頭痛と寝れなさの副作用がひどく、
飲むのをすぐ辞めるのに理由が症状で明確だったからだ。

もう医者は救いにすらなってもいなかった。



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無能で無力な大人達の中で
救いは自分以外は何も無いような状況で
ときどき私はベッドで幻覚を見るようにすらなっていた。


昔から見える気はしていたけど、

死神のような幻覚、天使のような幻覚、
天界のような幻覚、
いろいろ・・・

いろいろと白昼から不登校で付き合っていた。


天使がゆらめく日もあれば、、、
死神がゆらめく日もある。

カーテンのスキマから差し込む光が
なんだか、、、天界に見えてしまって、
このまま召されるのかなって、天界の幻覚が見えてきたり・・・


~~天使と死神との対話~~

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そして、ある日 天使と死神が2人同時に窓からやってきて、
私に問いかけてきた。


天使「今までと同様に純白と正義を信じなさい。
あなたにはきっと救いが訪れます。さぁ、この白い飲み物を飲み干しなさい。」


死神「いやいや、それは考えが甘すぎる。
汝、人生を悔い改めよ! 漆黒の黒を信じよ!
さぁ、この黒い飲み物を飲み干すんだ。」

今までと同様に白いホワイトな偉人を目指して
生きようとしても、何の救いも無かった。

聖書を信じていたはずの牧師ですら牧師を刺して
上の階から落ちて死んだ。

私は人生に対して、甘かった。間違いない。

黒の意味がわからない。どうなるか怖い。

だけども、このままだと受験どころか死ぬしかない。
体が死ななくても、偉人や有名人のように自殺するしかなくなる。


この黒い飲み物を飲んだら、私はなんだか変われる気がする・・・

そう私は変わるんだ! 死ぬ前に・・・


そうして、黒い飲み物を死神から受け取って飲み干した。


だからって、どうすればいいかわかったわけではないけど、
なんだか私は新たな力に目覚めた気がした!


「この救われないセカイで
沼のようなこの日本の国で、、それでも未来に希望を!
私に奇跡を起こす力を!」

。。。

そんな幻覚を経験してからの記憶は無い。

いつもの不快な日常に戻るのだった。


~~バスの中の沖縄旅行~~

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たぶん、2学期の秋ぐらいのいつかだと思う。
私は沖縄のバスの中にいた。
奈良も行ったんだっけな?覚えていない。

そう、私は自分が行ったはずの修学旅行をあまり覚えていない。


バスの中で最悪の気分でずっと寄りかかっていたのだけは覚えている。
たぶん、気分が悪いのでほとんど外には出なかったはず。

気分が悪くて、バスの窓にひたすら寄りかかっていた記憶ばかりで
奈良も寄ったような気はするのだけど、ほとんど何も覚えていない。

沖縄はどこかでヘビを見た気がする・・・

帰りのお土産がブルーシールアイスの郵送と、
ハブ酒と豆腐ようだったのは覚えている。

ハブ酒はいとこに好評で、豆腐ようは親戚に配ったけど
不評だった。


そして、


冬に近づいても
特にもう何もやれることもないので、

小学校の頃に荒れたクラスを放置して、
いじめを扇動していた担任に無言電話かけたりとか、

ヤケクソぐらいの最後の高校生活だ。

今、この記事を書いてるけど、
思うのはそれ以上やらなくて良く踏みとどまれたなぐらいだ。


死神と天使がやってきた時に

新たな力に目覚めた気はしたけど、
すぐには特に何もやれる気はしなかった。


~~似たもの同士の再試~~

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たぶん、3学期だったと思うけど、

たまにはということでNくんの家に遊びに呼ばれた。


Nくん「今日は来てくれてありがとう。
コンビニでおやつ買ってきたけど、チョコ食べる?それとも飲み物?
このチョコ美味しいよ。」

私「いや、いいかな。飲み物途中で買ってきたし。」

Nくん「そっか。じゃあ、何やる?対戦ゲーム?それとも、RPG?
このスーパーファミコンのゲーム知ってる?」

私「知ってる。それで対戦しようか。」


Nくんの家はゲームの品揃えは多くは無くて、
閑散とした普通の1人暮らしの部屋。大部屋は2部屋。
来る前に片付けていたっぽい。

薄いさぶとんとイスに座っていて、ゲームはやりにくかったような記憶。

2人でゲームをやっているとNくんが
またふさぎだした。


Nくん「どうしよう。どうしよう。どうしよう。
赤点だらけで留年する。留年して卒業できなかったら、
もう確実に家に戻される。うう、もうダメだ・・」

私「こっちも似たようなもんだよ。3学期の方が2学期より赤点が増えてる。
たぶん7つぐらい赤点かな。」


Nくん「うわぁ、それはすごいね。僕は4つか5つぐらい。
大丈夫?」

私「いや、人生もうどうでもいいし、卒業とか留年とか
興味が無いよ。あは、あはは。」


と そんな感じのやりとりで学校生活の終末を
慰めあっていた。

現実逃避してるだけで、本当に彼はうつ病か?と疑いながらも
(あまり症状の告白が無かった。)


~再試当日~

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母「起きなさい!先生が赤点でも許可してくれたんだから、
再試の日ぐらいはちゃんと登校しなさい!」

私「もう高校なんか終わっているんだし、寝かせてよ・・
ゲームオーバー・・」


たしか、起こされて高校に行った記憶がある。


眠かったので、ぐだぐだのだらだらの態度で
再試をこなした。

赤点の30点以上になるようにやりなおしさせられながら、、、


そして、いちおうの卒業させてもらった。
そういえば、Nくんも来ていたようだ

これでやっとどうでもいい高校生活が終わった。

そして、どうでも良くゲームとかしながら、
たまに本で病気の治療の勉強して
春休みを消化した。

特に当ても無かったけど、
親が代々木ゼミナールに行かせるように手配した。

目覚めた新たな"黒の力"以外での挽回へのきっかけになるのだった・・・


~うつ病を克服した私のうつ病の症状編 FIN ~


うつ病改善編は9月中。 ストーリー形式とは限らないす。
治療ノウハウを詰め込みますね。

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