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自叙伝の一部無料公開

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今日は自叙伝の一部公開します。

〜 社会人編 〜

お時間ある方ご覧ください。

5 社会人(自衛隊時代)
 ◎ 自衛隊に入った理由


 「国を守りたい」「昔自衛隊を見てかっこよかった」といったかっこいい理由ではない。 
  たまたま友達に誘われて、受かったから入ったのだ。
  ちなみに僕と一緒に受けた友達は、落ちた。
 好き好んで入ったわけではない、ただ「国家公務員」という肩書きが、
僕につくというのが面白く僕は自衛隊になった。

 ◎ 初日からの洗礼


   陸上自衛隊幹部候補生は、福岡県久留米市で約1年弱幹部自衛官としての基礎を学ぶ。
  入った時僕は、めちゃくちゃ舐めていて、
 入隊初日売店にポケットに手をつっこみながら
  歩いていた。後ろの方から教官の怒鳴り声が聞こえてきた。
 「誰じゃーー!!!ポケット手突っ込んだまま歩いているのは!!!!」
 僕はゆっくりポケットから手を出し、なかったことにした。
 ここは陸上自衛隊。今までのなぁなぁでは通じない。
  
  課業中(訓練したり、座学中)は携帯をいじれない。
  移動する時は、2名以上で行動しないといけない。
  
 人生で一番、「理不尽を体験した。」
 しかし、今となっては、笑い話。いい思い出の一つである。
 この時から僕は、同期に対して、3年後に辞めると言っていた。
 なぜ3年後かというと、当時26歳、30歳までに辞めて起業したかった。
 当時の憧れは、ホリエモン。
 僕は奨学金返済のために自衛隊を続けていた。

◎ 金沢へ異動
  9ヶ月の幹部候補生時代を終え、僕は金沢に配置された。幹部候補生を卒業した幹部は、
 中隊(100人規模の部隊)に配置されてすぐ、小隊長になる。
 しかし、なにをしていいのか全く不明だった。そのあたりから、自分はこの仕事向いていないと思い始めた。
  部隊には、19歳の高校卒業したての子や50代の定年間近の人がいる。自衛隊は、年数ではなく、階級社会だ。だから、自衛隊歴2年目の僕が、自衛隊歴30年のベテランの方を指導する立場になる。
僕は全くできなかった。自信なくいつも、階級の下の人の意見を聞いていた。

知識も経験もない。そのことが、僕を苦しめていた。
「分からない」自分というより、「決めれない」自分
主導権が僕にないという状況が辛かった。
本当は、幹部だから主導権あるのに、僕は八方美人で嫌われたくなかったからそれを放棄した。
言い換えれば「責任を負いたくない」それに尽きる。

上司によく言われた言葉は
「陸曹(部下)の言いなりになるんじゃない、お前が決めろ。腹くくれ!」
「責任をとるのが幹部だぞ!」

上司の言うことは絶対だし、
でも実行するのは、部下だし、

いつも心の中では、
「俺って必要ないやん!」って自分のことなのに、「無責任」でした。

入社2年目の27歳にはきつかった。

◎ 双極性障害発症


  入隊3年目の夏、一つ上の上司が異動になった。僕は、とある部隊のNo2になった。
 全く仕事ができず、どんどんパニックになっていった。
限界が近づいていた。

 入社3年目の秋。僕は自殺未遂をした。
即入院。診断結果は、双極性障害。
3ヶ月間精神病棟に入院した。

 上司の考えが分からず、幹部らしくできず、誰に相談も出来ず、、、、、
 大丈夫じゃないのに、大丈夫と嘘を付き
 「10」ある頼み事や仕事を
 「3」しか振らず、自分で自分のクビを絞めていた。
 入院直前に彼女とも別れていた。
 
 入院した時の率直な感想は、
「仕事しなくていい理由ができた」
 僕は、自分が出来ていないことが認めたくなかった。
いつも環境のせいにいていた。
「プライドが高かった」

入院直後はどえらいことをしたと思った。
毎日毎日、仕事のことが気が気でなかった。

寝ても冷めても仕事のこと、
僕が抜けたことで、迷惑かけてないだろうか。

入院4日目、家族が面会に来た。
おかんの涙は、本当に辛かった。
僕はとんでもないことをしたと反省。
2度とこんなことしないと心に決めた。

入院をきっかけに仕事を辞めるという選択もあったが、
「奨学金」という借金を返さないといけなかったため
辞める勇気がなかった。看護師さんには辞めたいと言い
面会に来た上司には、辞めたいと言えない。

入院しようが僕の性格は変わらなかった。

入院中、同じ患者さんの中には色々な人がいた。
高校生、同世代の女性、孫のいる女性
入退院を繰り返す人、多重人格の人

入院生活の話を詳しく書くと、話が尽きないが、
一言で言うと「楽しかった」
いろんな人がおって面白かった。

高校生の男の子がいて、その子が、PSPでパワプロしていた。
その子が急に鼻血出した。

僕が「どうしてん?」と聞くと
その子が「今パワプロでデットボール受けたら、なんでか知らんけど鼻血出た」
嘘やん!!!連動してるの??

毎日楽しく過ごしていた。
恋もしたし、ちょっと大人なことまで。。。

退院するのは嫌だった。
会社に戻るのが怖かったからだ。
3ヶ月なにも考えずに過ごすことが、本当に楽だった。
退院そして自衛隊への復帰が近づくのは本当につらかった。

そして退院し

復帰初日、ずっと深呼吸していた。

入院生活中に言われたことは、
「趣味を増やして下さい。」 

そこから、

手話、縄跳び、マッチングアプリ、旅行、クラウドファンディング
いろんな趣味を乗り換えた。
あれから同じ過ちは繰り返していない。
趣味を楽しむことで、気持ちが楽になった。
しかし徐々に憂鬱になっていく。

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