見出し画像

息子と出会ったあの場所に行ってみた

今日は銀行窓口に用があって有休をもらった
用事はすぐに終わったので
予てより懸案だった右眼の白内障手術を
東大で出来るかを確かめておきたかった

左眼の手術をしたのは10年以上前
八王子に住んでいた頃である
先日その眼科で作ってもらた
近々眼鏡が壊れてしまったので
修理してもらいに行った時
ついでに検査をしてもらった

墨田に越して来て6年以上も経っていたので
院長先生から『墨田に眼科は無いのか』と言われた
眼鏡の修理の為だとはわざわざ院長先生に言っておらず
『これまで行く必要が無かったので』と答えた
顕かに右眼の白内障も進行しているようで
『手術しますか』と聞かれ
『いえ、左目だけで生きて行きます』と言うと
『じゃあ進行止めの目薬を半年分出すからまた来なさい』
と言って下さった

その時は『はい』と答えたが
もし右眼も手術を余儀なくされたら
八王子まで通うのは無理だ
それならば32年前に息子の不妊治療と出産で
まる5年通い続けた東大病院ならば
心配ない気がしていた


古くなってキケンなのか
出入り口は少し離れた場所にあった

赤門は閉じられていて
横の鉄の柵の入り口から入るようになっていた
赤門を入って銀杏並木を歩けば真正面にあったはずの
安田講堂の時計台も見つからずウロウロした

大学はちょうど五月祭(学園祭)の準備が進み
学生たちが忙しく動き回っていた

ここで部活やらサークルやらの入部を呼びかけるのかな

それにしても
東大キャンパスは大きく様変わりしていて
植え込みもテニス場も三四郎池も探せず
旧病院の入り口のモニュメントも無くなっていた

婚家や実家から
『長男の嫁なんだから跡継ぎを産め』と散々言われ
間もなく30歳になる1986年に
それまで通っていたM市の産婦人科ではなく
東大の不妊治療外来に通い出した
小さな産婦人科の不妊外来は週一くらいで
大学病院などの医師が診察に来る程度で
排卵のサイクルと合う事が難しかったし
東大の不妊外来なら毎日診察してもらえた

東大ではホルモン注射と人工授精のため
排卵の前後に5日ほどを会社の昼休み12時から
15時までの3時間を私用外出届を出して通院した

通い始めて丸4年
『そろそろ卒業していい頃ですね。明日ボクは当番なので
 日曜だけど明日来てみますか』と担当のO先生が言って下さり
外来は休診だったけど特別に人工授精を施術してもらったら
運動率は10%と見込みは無さそうだったが
タイミングが良かったのが妊娠することが出来た👶
それは9度目の挑戦で
『これでダメだったら体外受精に変えましょう』
と言われていた
結婚して10年目に生まれた息子は
我が家の『スイート10ダイヤモンド』だった

当時の高齢出産はかなりのハイリスクとされ
不妊治療後の出産、沐浴、乳房外来、乳児検診まで
すべてを東大医学部附属看護学校の学生である
助産師の卵さんが研修を兼ねて担当としてついてくれた

助産師の卵さんが手作りしてくれたパンフレット

附属看護学校はもうないし
その看護師さんとはもう音信不通になってしまったけれど
息子が麻布に合格するまで毎年連絡をしあっていた
今は立派な助産師さんになっていることだろう

その頃は「アスベスト問題」が取り沙汰されていて
医学部附属病院の建物はもう建て直され始めていたが
32年振りに尋ねて行くと場所も建物もすっかり変わっていて
病院の建物を探すが見つからず
バス停のあった竜岡門の門番さんに場所を聞いて
やっと外来病棟に辿り着いた

病院棟の外観は当時の煉瓦造りに似ていた
中に入るとでっかい掲示板と案内ボードだらけで
眼科を探しだすのは疲れそうだったのでやめて帰った

思い切って中に入って案内所の人に
『32年前に不妊外来に通って息子を出産しました。
その時の診察券がまだあるんですが、今も使えますか』と聞くと
『カルテは残っていませんがカード番号と名前と誕生日は残っています』
と教えてくれたので
『12年前に八王子で左眼の白内障の手術をしたんですが、今度は右眼も進行してしまったんです。今は墨田に住んでいて遠いのでここで手術を受けたいんですが、頼めるでしょうか』と聞くと
『その眼科の先生に紹介状を書いてもらって外来に来てください。
 診察して必要なら手術を受けることが出来ますよ』と言われた

『東大ならタクシーに乗ればすぐだから、東大で手術してもらおうかな』
と息子に聞くと『良かったじゃないですか』と言ってくれたので
これ以上真っ白になったら、手術をしてもらおうと思う


この記事が参加している募集

#一度は行きたいあの場所

50,907件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?