見出し画像

息子の中学受験 中だるみ編

 6年生になると、御三家を受験する子ども達の特別クラスが編成され、地域ごとに決められた教室に通うようになる。
 息子の通う教室には御三家を受験する男子があと2人いて、日曜日は3人で電車に乗り、仲良くその教室に通うことになった。
 ある日、同じ塾の女子御三家合格確実と目される女子に、御三家受験用ビデオ「ライバルたちは今」の制作の為の取材依頼が来た。
 しかし、その女子はご両親ともに医者で、自宅での取材などが難しいと断ったそうだ。
 すると、それを聞きつけた息子が、何をとち狂ったか知らないが、『僕が出ます』と言ったらしい。
 その話が母の耳に入ったのは、塾の室長や御三家コースの先生たちが息子を取材すると決めた後のことで、母には取材日をいつにするかの確認だけだった。
 取材日の朝、6時に取材陣が家に来て当日のスケジュールを説明し、息子が小学校まで通学する映像を撮って戻って来た。
 息子が授業が終わるまでの時間に、息子のこれまでの習い事や趣味や特技などの情報を提供して、私たち両親の息子に願うことなどのインタビュー映像を撮影した。
 その後取材陣は小学校に戻り、息子の同級生や先生たちに息子がどんな生徒かの質問などをして、息子の下校シーンを撮影して戻って来た。
 最後に息子が自転車で塾に向かう姿を撮影して、休憩時間や授業の様子を撮影して、取材が完了した。
 母がそのビデオを観たのは、秋の御三家合宿の後だったと思うが、面白かったのが、そのビデオを観た塾長が、『この子は面白いから、絶対にA学園に入れろ!』と仰ったらしく、御三家コースの先生たちは驚き、どうすれば息子を合格させられるかと焦りまくったそうである。
 特に算数の担任の先生は、計算中に自分で書いた数字なのに「6」と「0」を間違ってしまうような困った息子を、どうすれば合格させられるかと、かなり気をもんだそうだ。

 息子は、幼稚園から小学3年生までは、先生のいない所でからかわれたり転ばされたり、上履きを焼却炉に隠されたりするいじめられっ子で、運動会では他の子が走り始めるのを見てから走り出すような、見た目は優しくて大人しい子どもだった。
 しかし、幼稚園の時、園バスから降りる時は何もないようなふりをしていたのに、家に着いてドアを閉めた途端悔し泣きするような、かなり負けん気の強い子どもだった。
 その頃にテレビで「ミロ」のコマーシャルを観て、『ボク、これから毎日強い子のミロを飲む』と宣言し、旅行の時も自販機で買って、受験に合格するまで毎日「ミロ」を飲み続けた。
 元陸上部で長年テニスをしていた体育会系の母も、自分の息子が運動神経が悪いはずはないと思っていたし、精神的に強くなれば大丈夫だと思っていた。
 だから、鉄棒が出来なかったと言った時は、誰にも見られないように夕暮れを待って公園で逆上がりを教えたし、早く走れるようになりたいと言った時は近くにあった都営霊園に行き、スタートの仕方や走る時の姿勢を教え込んだ。
 そして4年生からリレーのアンカーになり、6年生ではアンカー兼任の応援団長になって、その腕に優勝旗と優勝カップを抱え、真っ黒に日焼けしたその顔に満面の笑みを浮かべた。

 塾での算数を進学コースに変更した事は大正解だったようで、なんとか計算力にも自信が付き、冬の御三家合宿の頃には模試の合格率も60%に近づいた。
 受験直前の1月になると先生たちの努力の甲斐あって、息子はまたA学園を目指してひたすら勉強をしていた。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?