見出し画像

子どもと真剣勝負をすると、自分のデフォルトに気づけるかもしれない。


 子どもたちに対して手を抜かずに生活していて、今のところよかったと思えることが一つある。それは、自分がどんなことに腹を立てるのかが少しわかったことである。

 子どもたちが命にかかわることや他の人の怪我につながることをしていればもちろんそれを叱る。しかし、私が叱る場面はそれだけではなかった。例えば、みんなが自分たちの使用している教室を掃除をしている一方で、遊んでいる人がいて、その状況を何とも思わない子どもの様子を私が見かけたときである。または、クラスの中で代表して音読をしてくれる人が数人いたときに、全く手を挙げなかった子どもが、代表で音読をしている最中に騒いでいるときである。そのときに、私は子どもたちに対して、なぜ私が怒っているのかについて話した。私は無意識に、「やってもらっている人に対して、失礼だよね。」と言っていた。つまり、他の人が自分だけではなく、クラスというコミュニティのためにやってくれていることをありがたいことだと思わずに、自分勝手に行動している様子に、私はとても腹が立つのだと思った。

 それから、子どもが私に対して失礼な態度を取ったときにはもっと腹が立つことがわかった。それはなぜなのかを考えてみると、私は、そもそも相手と自分は同じ人間で、対等な存在であるという考えがデフォルト(初期設定)になっているからだということに気がついた。それで、自分が腹を立てるときは、物事や状況を自分のデフォルトに沿って判断したときに、あまりにもそのデフォルトを逸脱しているからなんだということがわかった。

 自分の価値判断基準とするデフォルトがわかると何がよいか。それは、自分が腹を立てる理由がわかるから、腹を立てる前に早めに回避する方法を取れるようになることである。これは、無駄な労力を使わないで済むというメリットがあるように思う。それから、腹を立ててしまったときに、そのまま自分の怒りの感情を相手にぶつけてもろくなことはないし、怒りの感情を治めるのは基本的には本人しかできないので、腹が立ったことを建設的に相手に伝えるときに役に立つのではないかと思う。感情は言葉にならないので、腹が立ったその時に自分でも、なぜ腹がっ立っているのかがわからないから腹が立つ理由をすぐに相手に伝えることができないことが多いように思う。でも、デフォルトがわかっていれば、私の場合は、自分にとって失礼なことを相手にされたから腹を立ててるのではないかという仮説を立てることができるのである。仮説があれば、腹が立った個別の事象を推測し、腹が立った理由を言葉で伝えることが容易になるというわけである。ただ、それができるようになるためには練習が必要だと思う。デフォルトがわかったことは第一歩であるが、わかってることができるようになるまでには練習する時間と労力を費やすことが必要なのだ。その練習をしている間にきっと寿命が尽きてしまうのだろうから、そんなに無理せずに、できるときにちょっとずつやっていけばいいんだろうな。