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#子供に教えられたこと

生きるということ
なんちゃって。

私はアダルトチルドレンといいますか、毒親育ち。友達も少ないし、世の中の大体には用がないと思って生きていた。世の中に参加する身分ではないと思って生きていた。結婚や出産、うれしいとされること、ほとんどが「私に与えられないもの」「与えられても喜んではいけないもの」と思って生きていたけれど、そんな独りよがりというか、狭かった視野を無理やりこじ開けるというか、私が決して開けようとしなかった蓋を開けたのが、開け続けているのが子供だ。

彼ら(子供)が、子供らしく振舞えばふるまうほど、抑制されて制御されて育った私のトラウマは疼いた。疼くことを抑え込むために体力は消耗され、体調不良となり、そのサインは私に送られ続けた。気づけよと。

そしていつも私はこう思って子育てをしていた
こんなお母さんでかわいそう
もっといいお母さんに恵まれたらよかったのに

私が母親な時点で親ガチャ大外れなのである。と思っていた。

共依存。子供に乗りうつってというか、愛という名の寄りかかりをして、全体重を子供に覆いかぶさって生きていたのだ。

どうか私のように生きないでほしい
そう 子供に願って、自分改造を掘り進めている今日だ。改造というより、いらないごみを捨てているといったほうがいいかな。
この先、私よりももっと楽しく健康で生きてほしいという気持ちから、私が楽しく生きようとし続けている。そう思えるようになったのは、子供の存在のおかげ。子供は親の背中を見て育つということなので、私の背中を磨き、強靭に、そして力を抜けるようにやっているつもり。

好きなものを食べ、好きな洋服を着る、嫌いなものは食べないし、苦手な人には会わない、そんなことすらできていなかった私が、今はそれが当たり前になれた。子供からしたら そんなのあたりまえ!そしていま、少しチャレンジもしている。人生ってそういう気がする。

そんな子供たちは、私に似て、少々感性が鋭い。時に言葉もきつい。HSPキッズなのだろう。たまに思っていることをズバリ言葉にされるときもある。そう、私の心を言葉にするのだ。ほんと怖い。
だけれど、ゲームやスマホに夢中になり、踊ったりグミ食べたりしている姿を見ると、私がずっとあこがれてきた量産型なのかもしれないと思う。

機能不全家族育ちからしたら、量産型はあこがれだもの。

他人に目ばかり気にして、親からの呪縛に縛られてダメ出しばかりしていた私が、そこから解き放たれて生きていくことができたのは子供たちのおかげ。

そう、普通が一番欲しい幸せだと気づかせてくれたのが子供たち。
生きることを気づかせてくれた、それが子供たち。

とまぁ 二人が手がかからなくなったから こんなのんきなこと言っていられるんだろうけどね。

子供に感謝。これは死ぬ前に伝えとかなくちゃ!

#子どもに教えられたこと

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